「未熟と成熟」「個と集合意識」の
掛け合いで生まれる状況

◆未熟✕個(図の3)

 まず人類の現在地だが、先進国と言われる社会であっても、未熟×個が主体の社会(図の3)であろう。ここでは、個と全体の調整は民主制政治(民主主義)によって行われているが、せいぜい「民主主義は最悪の政治形態といわれてきた。他に試みられたあらゆる形態を除けば」(チャーチル)というレベルであり、理想的なものとは言い難い。

 特に困るのは国際社会での意思決定と調整である。国家を超える調整機能は強制力が弱く、結局のところ、大国のエゴにも、小国の瀬戸際戦略にも、宗教対立にもうまく対応できない。その結果、あいかわらず世界中で戦争があり、さらに大きな紛争の脅威が世界を覆っている。

◆成熟✕個(図の2)

 本作では圧倒的な科学技術力を持ち、かつ精神的にも成熟した(2)オーバーロードの善導によって、人類は初めて悪を手なずけ、協調した平和な社会を構築することができたのだが、現実世界のわれわれ人類にはオーバーロードがいない。世界の警察官として振舞ってきた超大国アメリカは力を弱め、大国の1つとしてのポジションに変わりつつある。

 ただ、今後、人類共通で対処すべき最大の問題である気候変動への対応がオーバーロードの制裁と同様のものになり、これまでになかった協調意識が芽生え、SDGsの広まりや各種の税制による誘導によって、世界を善に向かわせるという方向性はありうる。そうなると、個を主体とした成熟社会に移行できるかもしれない。ただ問題は、個や組織、国家がそれらの動きにどれだけ応じるかである。協調意識を自分ごとにできない人や組織がなくなることはないだろう。個を主体とする社会では、大きな物事はなかなか前に進まない。

◆未熟✕集合意識(図の4)

 一方で、科学も精神的にも未熟な状況のまま、集合意識(集合知)的な最適化の方向に社会をもっていこうとする動きもありうる。今後ますますデータは増える。購買データ、行動データ、発言データ、さらには遺伝子データ、リアルタイムの生体データ。これらが集積され、最適化のアルゴリズムが生成され、何らかの強制力を背景に、それを発動させることで社会を変えることもできるだろう。この場合は、力によって集合的意思に個が従わされるのである。