争点は、緊縮・新自由主義vs積極財政・脱新自由主義

 では、そうした新型コロナ不況への対応や、医療・公衆衛生面での新型コロナ対策が今回の選挙の主な争点であると言えるかというと、そうとも言えまい。確かにこれらも含まれてはいるが、もっと大きな、まさに日本という国全体の視点からの争点がこうした個別の争点を包含していると考えるべきなのではないかと思う。

 それは、緊縮財政を続けるのか積極財政に大きく転換するのか、新自由主義政策を続けるのか新自由主義から脱するのか、である。

 少々唐突に聞こえたかもしれないが、経済対策にせよ新型コロナに係る医療・公衆衛生対策にせよ、お金がかかる。つまり国の財政支出が必要ということ。各国政府の行ってきた対策を踏まえれば、世界的な潮流は大規模な財政支出であり、裏を返せばそうした規模の対策を講じなければこの危機的状況には対応できないということである。

 そのことは本年のコーンウォール・サミットのコミュニケにも明記され、この大規模な財政支出は国際的な合意となっている(永田町で好まれる表現を用いれば、「国際公約」となったということである)。

 このことは同時に、今回のコロナショックによって政府の役割の重要性があらためて認識され、その役割を十二分に果たすことが強く求められるようになったということでもある。つまり、政府の役割はできる限り小さくし、民間に任せるべきだという、小さな政府論は、世界的には既に過去のものとなったということである。

 そうなれば、コロナショックと経済回復に世界的に協調して対応していこうとしているところ、わが国だけが財政支出を限定し、日本だけが採用している「プライマリーバランスの黒字化目標」という奇妙奇天烈な財政規律を今後も堅持する、などという愚行を続けることはできないはずである。