宮島 そういうことになるかもしれません。ただ、米英の動きが、行き過ぎた株主主権の揺り戻しとして企業が自らの存在意義を規定しようとするものだとすれば、日本では、そもそも株主価値が十分に実現されていないのだから、安易に追随するのもおかしな話ですよね。

「世間」の範囲は昔とはまるで違う
「三方よし」をアップデートしなければならない

日置 日本企業におけるパーパス議論の際によく一緒に持ち出されるのが、近江商人の精神、「売り手よし、買い手よし、世間よし」の「三方よし」です。

 日本にはもともと、株主以外のステークホルダーを重視する文化があります。だから投資家に言われるまでもなく、昔からESG経営をしてきたという論調です。

 ちなみに、近江商人は実際には「三方よし」なんていう言葉は実際には使っていません。確かにそういう経営精神はあったようですが、この言葉自体は滋賀大学の名誉教授でいらした小倉栄一郎先生が、ご著書の『近江商人の経営』の中で述べられた造語です。

 そもそも現代の企業の「売り手」には、所有者である株主が含まれるはずですが、必ずしも「株主よし」が実現されてきたわけでもない。宮島先生は、安倍政権下のコーポレートガバナンス改革について研究されていますが、効果はどうだったのでしょうか。

宮島 英米で「強すぎる株主のガバナンス」が問題視された一方、日本では「弱すぎるために事業の入れ替えや、結果としてのROE(Return On Equity/自己資本利益率)の改善が遅れ、保守的な経営がまん延している」という問題意識がありました。お金をため込むばかりで、リスクを取って積極的な投資を行わなかったことが、失われた20年の一因だとされたのです。

 株主の力を強めて経営に関与させることで、こうした状況を変え、長期的な成長力を高めようとしたのがいわゆるアベノミクスの改革です。しかし、その効果は限定的と言わざるを得ません。

 確かにROEは上昇したけれど、資産が有効活用されているかどうかを示す「総資産回転率」はかえってやや低下しており、資産圧縮は進まなかった。

 企業間の株式相互持合いの解消を目的に、政策保有株の保有理由の開示が求められたので徐々に売却が進みましたが、その資金は配当や自社株買いなどに回されて、設備投資や研究開発投資が促進されたわけでもありません。

日置 つまり、財務規律は一定働いたものの経営効率が高まったわけではなく、不採算事業の整理などの体質改善が進んだわけでもない。株主をはじめとするステークホルダーによる経営の規律づけは、まだ道半ばということですね。

宮島 そう思います。第一、ガバナンス改革でリスクを取る経営に転換しようというのは過大な期待です。

 なぜリスクを取った経営にならないかと言えば、日本では従業員を簡単にクビにできないからという理由が大きい。いっぺん人員を増やして事業を拡大したら、その後、景況が悪化してももう自由に縮小できない。となれば、経営者は保守的になるしかない。長期雇用の前提や労働市場の流動性のところに手をつけない限り、投資態度は変わらないでしょう。

 現代の三方よしの「売り手」には、株主が含まれるというお話がありましたが、「世間」の範囲も昔とはまるで変わってきています。近江商人流の「世間」はそれほど広いものではなく、自分たちの周囲かせいぜい日本国内どまりでしょう。しかし、現代の「社会」は国を越えた地球市民であり、場合によっては「今の事業活動が次の世代にどんな影響をもたらすのか」にまで考えを及ぼさなければならないわけです。

 ステークホルダーの概念そのものが変わっている以上、三方よしにもアップデートが必要であり、安易な日本型モデルへの回帰が、株主価値追求を怠る言い訳になってはいけないと思います。