『上流思考──「問題が起こる前」に解決する新しい問題解決の思考法』が刊行された。世界150万部超の『アイデアのちから』、47週NYタイムズ・ベストセラー入りの『スイッチ!』など、数々の話題作を送り出してきたヒース兄弟のダン・ヒースが、何百もの膨大な取材によって書き上げた労作だ。刊行後、全米でWSJベストセラーとなり、佐藤優氏「知恵と実用性に満ちた一冊」だと絶賛し、山口周氏「いま必要なのは『上流にある原因の根絶』だ」と評する話題の書だ。私たちは、上流で「ちょっと変えればいいだけ」のことをしていないために、毎日、下流で膨大な「ムダ作業」をくりかえしている。このような不毛な状況から抜け出すには、いったいどうすればいいのか? 話題の『上流思考』から、一部を特別掲載する。

お金がなくなると、人はバカになる(逆ではない)Photo: Adobe Stock

なぜ、「上流」で考えられないのか?

 上流思考がそれほど簡単で、繰り返し起こる問題の解決にそれほど効果があるというのなら、なぜ実行する人がほとんどいないのだろう?

 考えてみれば僕自身も、ちょっとしたことで上流思考から脱線してきた。

 家族の誰かが病気になったら、小さな改善のことなんか考えていられない。仕事や人間関係のストレスに参っているときもそうだ。それは直感的にわかるだろう。大きな問題が身に降りかかると、小さな問題は脇に追いやられてしまう。人にはすべての問題を解決するだけの処理能力はないのだ。

「小さな問題」が大きな問題を締め出す

 じつはこの「処理能力」の問題は、見かけよりずっとたちが悪い。研究によると、お金や時間、心のゆとりなどが欠乏していると感じるとき、大きな問題が小さな問題を意識の外に締め出すのではない。困ったことに、小さな問題が大きな問題を締め出してしまうのだ。

 たとえば、お金のやりくりに毎月苦労しているシングルマザーが、クレジットカードを限度額いっぱいまで使ってしまったとしよう。そんなとき、子どもが地元のバスケットボールリーグへの参加費用として、150ドルちょうだいと言ってきた。ダメだなんて言えない。子どもが近所で参加できる、数少ない健康的な活動なのだ。

 でもお金はないし、次の給料日までまだ10日もある。だから近くの消費者金融でお金を借りることにした。1ヵ月後に20%の利子をつけて返済しなくてはならない(年利換算で240%にる)。返済しないと借金は繰り延べられ、利子は雪だるま式に増えていく。それほどの大金ではないが、ただでさえ厳しい家計を破綻させるのには十分な金額だ。

 ファイナンシャルアドバイザーなら、借金はまずい判断だったと言うだろう。だが、お金を借りたおかげで息子は運動する機会を得られたし、彼女自身も数日か数週間の貴重な猶予を手に入れた。いつか危機が来るかもしれないが、とりあえず今日ではない。

 心理学者のエルダー・シャフィールとセンディル・ムッライナタンは、著書『いつも「時間がない」あなたに』の中で、この現象を「トンネリング(視野狭窄)」と呼んでいる。

 人はたくさんの問題で右往左往しているとき、すべてを解決することをあきらめる。視野が狭まってしまう。長期的な計画を立てることも、戦略的に問題を優先順位づけすることもしなくなる。

 だからこそトンネリングは、上流思考の3つ目の障害なのだ。トンネリングのせいで、目先優先の反射的思考にとらわれてしまう。トンネルの中にいると、前に進むことしかできなくなる。

お金がなくなると、視野狭窄になる

 人が貧乏になるのは、愚かな判断を積み重ねたせいだとよく言われる。たしかにそういう場合もあるだろう(高給取りのスター選手が引退後に破産するなど)。

 だがシャフィールとムッライナタンは、それは因果関係が逆だと指摘する。貧困のせいで、近視眼的な財政的決定を下しがちになるのだと。著書にこう書いている。

欠乏を感じると洞察力が鈍り、先を見通せなくなり、制御が利かなくなる。その影響は甚大だ。たとえば、ひと晩徹夜するよりも、貧しい状態にあることの方が、認知能力に悪影響をおよぼす。貧しい人は個人としての処理能力が低いのではない。むしろ、貧しさを経験することで、どんな人も処理能力が衰えるのだ」

 お金が乏しいときは、あらゆる問題がストレスの原因になる。お金をクッションとして使えないからだ。車をこまめに整備に出し、自費で歯科検診に行き、休みを取って病気の親の見舞いに行くといったことができなくなる。すると生活は綱渡りになる。

 トンネリングを起こしている人は、システム全体を考えることができない。問題を防ぐことができず、起こった問題に対応するだけになる。

時間がなくなっても、判断力が落ちてしまう

 もっとも、トンネリングはお金がない人だけに起こるわけではない。時間がない人にも起こる。

「何かが欠乏しているとき、とくにトンネリングを起こしているときには、重要だが緊急ではない用事、たとえばオフィスを掃除する、大腸内視鏡検査を受ける、遺言書を作成するといった用事は先延ばしにされてしまう」と、シャフィールとムッライナタンは書いている。「こういった用事を行うコストはいますぐかかり、重くのしかかり、しかも簡単に先送りにできる。一方でそれをすることで得られる利益はトンネルの外にあって見えない。だから緊急の用事がすべて片づくときを待ってしまう」

 だがもちろん、緊急の用事がすっかり片づくなんてことはけっしてない。そして気づいたときには遺言書を作成しないまま70歳になっている。

(本稿は『上流思考──「問題が起こる前」に解決する新しい問題解決の思考法』からの抜粋です)