みずほ 退場宣告#5Photo:REUTERS/AFLO

相次ぐシステム障害により行政処分を受け、金融庁からガバナンス不全を痛烈に批判されたみずほフィナンシャルグループ(FG)。特集『みずほ 退場宣告』(全8回)の#5では、2度目の大規模システム障害を機に佐藤康博氏(現FG会長)がグループCEOに就いてから、2年の月日がたった2013年に焦点を当てる。このときみずほは、なお前身の旧3行の派閥の影がちらつく中で、名実共に1トップ体制に移行しようと奔走。同時に、今回のガバナンス不全を引き起こした一因が潜む「カンパニー制」の土台を整えていた。だが、みずほが描いた理想には、最初から危うさが漂っていた。本稿では13年当時に行った佐藤氏のインタビューも掲載。そこには、他のメガバンクとの差別化を図って攻めに転じ、旧行闘争に終止符を打とうともがく様がありありと見える。

「週刊ダイヤモンド」2013年4月13日号の企業レポート『寄せ集め証券のてこ入れがカギ 復権をかけた新体制の成否』(週刊ダイヤモンド編集部 新井美江子)を基に再編集。肩書や数値などの情報は雑誌掲載時のもの。

カンパニー制の土台が築かれた2013年
「銀信証」の横串経営に描いた理想とは

 大学や予備校、専門学校が集中する東京・お茶の水──。2013年3月、みずほフィナンシャルグループ(FG)傘下のみずほ証券(SC)が、この昔ながらの学生街に竣工したばかりのオフィスビル、「御茶ノ水ソラシティ」に一大拠点を構えることが決まった。

 一部は大手町に残るとはいえ、金融機関の集積地である大手町から外れるとあり、都落ちするようにも映るSCの大移動。だが実は、このSCの行方こそ生まれ変わったみずほの浮沈を握るといっても過言ではない。中小証券の寄せ集めで弱小とされたSCがてこ入れされれば、FGの収益底上げに大きく貢献するはずだからだ。

 それだけに、佐藤康博・FG社長も「自ら証券に手を入れる」と今後を語る熱の入れようだ。

 すでに講じた策もある。

 13年2月、佐藤社長のスケジュール帳にはそれこそ毎日のようにある打ち合わせの予定が書き入れられていた。同月下旬に発表した新中期経営計画(14年3月期~16年3月期)の打ち合わせだ。

 それほど、この新中計はみずほにとって重要だった。何しろ、その初年度には個人や中堅・中小企業向け取引を行うみずほ銀行(BK)と、大企業取引を行うみずほコーポレート銀行(CB)が統合して新みずほ銀行が誕生。最終年度までには次期システムが順次構築されるなど、まさにみずほの変革期を担うものになるからだ。

 前述の策とは、この新中計の柱として、グループ一体的な戦略を取るべく体制整備を行ったことだ。具体的には、持ち株会社であるFGが、新みずほ銀行とみずほ信託銀行(TB)のみならず、SCまであたかも一つの組織として主導的に運営する仕組みを整えた。

 これまで銀行と信託(BK、CB、TB)までしか兼務していなかったFG役員の担当領域を、証券(SC)にまで拡大。さらにFG内に、新みずほ銀行、TB、SCの収益部門を一手に統括する副社長を新たに3人置いた。

 ライバル行も傘下に信託や証券を持っている。しかし、FG主導と明確に銘打ち、「銀信証」の一体運営ができた金融機関はまだない。「実現すれば、みずほは『化ける』可能性がある」。銀行界からはこんなささやきが聞こえ始めている。

 ただ、例の、激しく吹き荒れていた「コップの中の嵐」はやんだのか──。

 みずほといえば、前身である第一勧業銀行、富士銀行、日本興業銀行の旧3行が1対1対1の対等合併を行ったがために、それぞれが覇権を握ろうと内部抗争を繰り広げてきた過去がある。それは銀行員にとって「全て」ともいえる人事に色濃く表れ、FG、BK、CBのトップはもちろん、役員にまで旧3行によるバランス人事が敷かれたほどだ。

 しかし11年の東日本大震災の直後、みずほ発足以来2度目の大規模システム障害を起こし、佐藤社長(76年、旧興銀入行)がグループ全体を統括するグループCEOとなったことで、経営の意思決定がようやく一元化。「誰が銀行の顔だか分からず、トップによって異なる意見に下が右往左往する」(FG社員)という不毛な体制には最低限、終止符を打ったというのがこれまでの経緯である。

 今回は意識的なのか無意識的なのか、佐藤社長が旧行バランスをうまく“利用”した形で、結果的に自身のワントップ体制を強固にした。

 次ページでは、そんな佐藤社長の“巧みなる”人事手腕と、銀信証の「横串経営」の前途多難を追う。