“マンションポエム”の実情
ポエム調広告文はどうなっていくか

 続いて、高級マンション物件の不動産広告によく見られる“マンションポエム”である。これについては、この語が認知されるきっかけを作ったとも思われる大山顕氏の記事に詳しい。ユーモアがありつつ、興味深い内容なのでぜひ一読を勧めたいが、氏の分析によれば“マンションポエム”には、商品(物件)自体には言及せず、物件がある街の素晴らしさをうたう、といった傾向があるらしい。
 
 この広告戦略はエナジードリンクと似ている。いかに抽象的な部分で、消費者に刺さっていくかを念頭に作られているのである。
 
 これは、考えてみれば順当である。たとえば洗剤の広告なら「汚れを〇%除去」などの具体的なアピールポイントを押し出せば訴求効果を上げられるが、エナジードリンクで成分について言われてもよほど詳しくない限りピンとこず、結局は概ね「飲めば元気になるもの」という認識から脱しきれない。つまりもうブランドイメージで勝負した方が、話が早い。
 
 不動産広告も同様だ。それなりの高級さが満たされている物件なら、それが超高級でない限り、どれも五十歩百歩である。ならばその物件の立地(価格を大きく左右することにもなる)が重要で、その街の価値を高める方向で広告が作られる。

 しかし“街の価値”といっても具体的な指標があるわけでなく、人々のイメージでしかない。“人々の中にあるイメージ”という抽象的なものを短い文章の中で最大限刺激しようとなったら、ポエム的な文に頼らざるを得ないのであろう。
 
 一度形成されてしまったこの潮流は、途中で降りるのがなかなか難しい。これは特に不動産広告の方に顕著だが、周りがきらびやかな言葉を尽くして物件の良さを歌い上げている中で、ひとり路線変更して簡素に「とてもいい街いい物件」などと書いたら、それだけでチープに見えてしまう可能性が高い。広告を制作する側としてはリスクを冒して冒険に出るくらいなら、既存の流れに乗ってポエム調をつづった方が無難だ。全ての消費者が求めているブランド戦略ではないかもしれないが、メーカーはこれを続けなければならないのである。
 
 消費者はそれらに接して、日常生活のテンションとの乖離(かいり)を感じ(また、それを面白おかしく思うこともある)、“モンエナポエム”や“マンションポエム”と取り沙汰されるようになった。
 
 筆者はモンスターエナジーを「野性を解き放ちたいから」と思って飲むわけではない。しかしやはり、もしこのポエム調文章がなくなったら物足りなく思うであろう。いわば“お約束”を楽しみに思うくらいには、この流れは確固たるものとなってきている。
 
 永劫不変のものはないから、いつかはどこかで方向転換が行われるのであろう。その日までは、これらのポエム調文章を存分に楽しんでいきたい次第である。