都合の良い「クリエイター」という言葉

私は「みんなと同じ」になるために、細心の注意をはらいました。

けれども、心の奥底では、絵を描いて「上手だね」と褒められ、驚かれた経験から得たあの喜びが、興奮が、ずっとくすぶっていたのです。家に帰ってこっそりノートに絵を描き、親に見つかりそうになると、あわてて引き出しにしまったのをよく覚えています。

今思えばあのあたりから、私の自意識は徐々にこじれ始めていたのだと思います。

高校を卒業する頃、私の夢リストは大きく変化していました。

・公務員

・外資系企業

・コンサル

と、所謂「エリート」に分類されることを望みました。

周りの友人たちも同じような方向を望んでいたし、親も応援していたし、それが正解のルートだと思い込んでいました。

オタクだと思っていたグループの子たちのなかには、美大に進学する子もいました。そっちにいけばよかった、とは思いませんでした。第一志望だった国際系の学部に合格し、進学することになった私は、当然、英語を使いこなし、世界を股にかけて働くんだと信じていたのです。

ところが、です。

なんの問題もなく順調に進んでいるはずが、あれ、何かおかしいぞと気がつき始めたのは、就活生の頃でした。

どれだけキラキラした人気企業の説明会に行っても、面接に行っても、ワクワクしないのです。「あれ、このままでいいのかな」という違和感がずっと残っていました。エリートキャリアウーマンを目指していたのは私のはずなのに、しっくりくる会社がないのです。私が行きたいのはこっちじゃない、という感覚が常にありました。同級生たちが次々に内定を獲得しているなか、私はどうしてもやる気になれませんでした。

そんなときにSNSを眺めていると、流れてくるではないですか美大に行った子たちの成長した姿が! 同級生に限らず、美大を卒業し、デザイナーやアーティストとして、自分の道を確立している人たちの生き方が目に飛び込んできました。組織に所属するのではなく、「個人」として生きていこうとしている。その姿を見た時、猛烈に、焦りました。同時に、嫉妬しました。

あれ、私が行くべきだったのってあっちだったんじゃ、なんて付いたときにはもう遅い。今から美大に入り直すわけにもいきません。そんなときに私は、とても都合の良い言葉を見つけてしまいました。

「クリエイター」という名称を。

そして幸か不幸か、時代はものすごいスピードで進化していました。知らず知らずのうちに、一般人でもネットを通して自分の考えや作品を発信するのが当たり前の時代になりました。

ちょうどその頃、就活から逃げるようにしてブログを書くようになって、私は見事に、「文章」の世界にどっぷりとはまってしまいました。なぜなら、母親の「ほめ言葉」の何十倍の承認を得ることができる時代になったからです。

自分の考えを文章にまとめてSNSで発信すれば、何十という「いいね!」がつき、知らない人からもコメントをもらえ、「共感した」とか「面白かった」とか言ってもらえる。絵では、もう勝てない。でも文章なら、今からでも間に合うかもしれないと思ったんです。

今まで心の奥底の一番暗い部分で抑制していた自意識は見事に爆発し、地面を突き破り、さらに肥大化しました。

私がすすむべき道はこっちだったんだ、と思いました。私ってクリエイターだったんだ! 私は何かを表現する仕事がしたい。表現して、共感してもらったり楽しんでもらえたりするような作品を世の中に提供し続けたい。

むしろ私のいるべき場所は、こっちだったんじゃないか。