FIREの誕生は令和を物語る?
時代のニーズによって生まれた人生設計

 それにしてもFIREというのは、非常に令和的である。多くの記事でうたわれているのは“平均的な収入の人でも目指せるFIRE”であり、つまり「質素になら暮らせる」FIREが紹介されている。
 
 それこそバブルの昭和などは、もっとガツガツした空気があって、欲が経済を成長させる推進剤としても機能していた。欲を抱くことは恥ずかしいことではなく、大志(大きな欲)を抱くことはむしろ美徳であった。また、「仕事をするのは偉いこと」といった風潮も今より強くあった。
 
 これらの風潮が、令和になるとだいぶ薄まってきた。若者はマイカーを欲しがらず、仕事最優先ではなくプライベートに重きを置き、“人生大成功巨万の富”より“人並みな生活とささやかな日常の中にある幸せ”を希求するようになってきた。むろん、そちらの方向に針が完全に振れたわけではないが、そう考える人の割合が増えてきたのである。
 
“女性に人気のある男性のタイプ”の変化なども顕著である。昭和は濃ければ濃いほどよかったが、今は“草食男子”に代表されるように、あまり男くさくない方が喜ばれるようになってきた。
 
 つまり、令和は全体的にソフトになってきている。FIREが示唆する「質素になら仕事をしないで暮らせる」というゴールは、昭和に生きる人に聞かせれば「それでも男か!」と一括されそうだが、令和の今なら「そういう生き方もあるかもなあ」となんとなく受け入れられるのである。
 
 視点を変えれば「時代がFIREを生んだ」ともいえる。FIREが目指すところは、時代のニーズによくマッチしている。だから今後、FIREが完全なスタンダードになるとは現段階では想像しにくいが、特に20~30代の若者層を中心に一部では選択肢の一つとして考えられるくらいには浸透していくのではないか……というのが個人的見解である。