源氏が平家を破った富士川の戦い、「水鳥の羽音で平家が逃げた」説の真相Photo:PIXTA

大河ドラマ『鎌倉殿の13人』では、源頼朝が挙兵し源平合戦が幕を開けた。中でも、源氏が平家方を破った「富士川の戦い」には、平家の苦境と源氏の勢いをうかがわせるさまざまなエピソードがある。勝負を分けたものとは何だったのか。当時の史料を基に見ていこう。(歴史学者 濱田浩一郎)

源氏が平家を破った「富士川の戦い」
『平家物語』では勇ましい様が描かれているが…

 治承4(1180)年8月、源頼朝は挙兵する。初戦には勝利したものの、その直後に行われた石橋山の戦いでは、大敗北し、命からがら落ち延びるという屈辱を味わう。しかし、上総広常・千葉常胤といった関東の豪族の助勢もあり、頼朝は次第に勢いを盛り返していく。

 ちなみに、平家への反乱を起こしたのは源頼朝だけではなかった。信濃国木曽を拠点とする木曽義仲、甲斐源氏の武田信義らも頼朝挙兵から間を置かず、兵を挙げ、平家方と戦を開始していた。

 内乱が拡大する状況の中、平維盛(重盛の子、清盛の孫)が、東国追討使として、福原(兵庫県神戸市)を立つことになる。副将軍は平忠度(清盛の異母弟)、参謀役の侍大将は上総介伊藤忠清、維盛の乳母の夫である。出陣の様子を『平家物語』は臨場感あふれる筆で、次のように描いている。