ナチズムやソ連とも折り合いつけてきたIOC、中立を貫く理由

 北京冬季五輪開幕前夜から政治の臭いが漂っていた。

 米国ら数カ国が「外交的ボイコット」を行った。中国の新疆ウイグル自治区での人権蹂躙に抗議するというものであり、世界の人権団体からも抗議の声が上げられていた。デモはスイスのIOC本部前などでも起こった。

 そのような批判にIOCはあくまでも政治的中立を貫こうとする。あくまでも政治には関わらず、オリンピック運動に賛同し、オリンピックを開催したいとする都市には、オリンピック精神を順守する条件で開催権を譲渡する方策なのだ。オリンピックを開催することによって、精進してきた選手たちのパフォーマンスが、人々に平和を志向するモチベーションを与える。そのために4年に1度の開催を実現することが絶対と考えるからである。

 もし、IOCが中国の人権蹂躙を認定し、それを改めない限り、北京五輪の開催権をはく奪するという行為に出たら、それが即座に政治問題となるだろう。IOCが中国に政治的立場で臨むとすれば、その瞬間に「スポーツでより平和な世界を作る」理論は崩壊する。中国が北京市の開催する五輪を五輪憲章にのっとって保証する限り、あくまでも選手のために大会を開催する。開催する中で、オリンピック精神が尊重する「人権」を主張する。それがIOCの行き方である。

 オリンピック128年の歴史は、1894年のIOC創設から始まるが、それはIOCが政治とやり合って折り合いをつけて、オリンピックを存続させてきた歴史でもある。

 例えば、1936年のベルリン五輪はヒトラー政権下で行われた。彼のユダヤ人排斥政策を停止させるために時のIOC会長ラトゥールはヒトラーとやり合わねばならなかった。1980年のモスクワ五輪はソ連のアフガニスタン侵攻に対する抗議で西側諸国の多くがボイコットしたが、IOCは開催に踏み切った。

 もし、ヒトラーのナチズムに反対するために五輪開催を諦めたら、あるいはソ連の侵攻に反対するために五輪開催を諦めたら、それはそれぞれひとつの政治意思を示すことになってしまう。そこで、少なくとも五輪開催準備期間と開催期間は五輪憲章を守ることを主催都市に約させて、その誓約についてその国の保証を得て、五輪を開催する。

 4年に1度の開催によって、参加を目指す選手たちの流れを止めず、選手たちのパフォーマンスが世界を変えるチャンスを得ることに努める。それがIOCの方法論だ。