口を滑らせて共謀を認めた佃と昭夫
武雄が佃に引導「辞めてちょうだい」

 佃や小林、そして昭夫がクーデターの際に決まり文句かつ“錦の御旗”としたのが「会長のご指示」だった。査問会でも、これが繰り返される。

 会長よろしゅうございますか。例えばですね、このロッテサービスというのがございます。ロッテサービスですね。ここが、宏之さんが社長でいらっしゃいましたが、プーリカという会社に8億円ほど投資をして戻らないという事故が起こりました。ここが出発です。それでこういうような会社の社長から宏之を解任して、会長からご指名で私が社長をして、そういう事態が起こらないようにと。

武雄 俺がそういう指示をしたことはないから。(そもそも)1人が10社の社長なんて前例がないのよ。いい加減なこと言うなよ。(私を)馬鹿と思ってんのか。

 何をおっしゃいます。とんでもございません。私は会長に言われて……。

宏之 早く辞めるようにという指示ですよ。早く辞めたらどうですか。

 私は構いませんよ、それは。しかし会長からご指示をいただいて私がこうしておるのに、「勝手に」というお言葉はちょっと私は腑に落ちないんですが。

武雄 俺はね、歳を取ってるんだけど、そういういい加減なことはするなよ。

宣浩 自分の手の平の上で会長を躍らせているんだと言って(いるそうだね)。

 ここで遅れてきた昭夫が入室する。この後に、佃も昭夫も苦し紛れの言い訳のなかで、宏之の解任・解職が昭夫も事前に承知したうえで行われたことであり、かつ「相談した」と発言してしまって、事前に共謀して計画を立てていたことまでバレてしまう(繰り返しになるが、佃、小林、昭夫の3人は裁判で一貫して共謀の事実を否定している)。

 私も、昭夫会長も、それから小林専務も同席のうえでそういうのを決めております。

(明夫は11年から韓国ロッテグループの会長で、武雄は総括会長だった)

武雄 昭夫これ、なんだ(佃が社長を務めるグループ会社のリストを示す)。昭夫がこういう会社の社長をやるよう全部指示したのか。

 いや、私が申し上げているのは皆がいるところで会長からご指示をもらって、そしてそれぞれの社長に就くようにと。

武雄 こういう会社は皆お前(昭夫)が「社長をしろ」と言ったわけ?

昭夫 私は佃さんと相談して、お父さんのほうにきちっと相談して……。全部一つひとつ報告はしています。

武雄 相談してやった?

昭夫 はい。

武雄 どういう相談をしたんだ?

昭夫 ええ。人事については必ず私が同席して一緒に聞いていました。

 そもそも武雄にとって、「みんな仲良く」が人生の信条であり、経営理念でもあった。父として、経営者として武雄は兄弟間で争いが起きないように準備を重ねてきた。「悪平等」と陰で言われようとも兄弟の役職はずっと同じにしてきたし、「日本は宏之、韓国は昭夫」と事業担当を分けたのも、その一環だった。

 にもかかわらず宏之は追放され、昭夫や佃は「会長のご指示」とか「会長に相談した」と言い張る。そんな指示や決断は絶対にしないという自信があるから、武雄には彼らの弁明は虚しいウソにしか聞こえない。この“査問会”のやりとりの中でも、武雄は自身の苦悩と諦念を吐露するような、こんな言葉を昭夫に投げかけている。

「社長(武雄)はね、みんな仲良くするためにできるだけ(不公平のないように)お互いを一緒に考えておった。お前、裏でこんなことやっていたら許せないじゃないか」

 佃に引導を渡すべき時が迫っていた。そこは武士の情けなのだろうか、武雄は家族たちに部屋を出るように命じ、宣浩だけを残した。老いたとはいえ、そうした気遣いをできる優しさと冷静さが武雄にはあった。ボイスレコーダーの録音は続いている。

武雄 あんた何年になるんだ。

 6年になります。(佃のロッテHD社長就任は6年半前の09年1月)

武雄 今までね、僕はあなたのことを信用しておった。

 私も会長を尊敬しています。

武雄 (しかし)こういうふうにやっているのを見るとね、とんでもないと思った。

 しかし会長それは……。

武雄 言い訳はいいから。ただ僕はあなたと喧嘩したくないの。だからとにかく今日限りで辞めてちょうだい。

 わかりました。はい。わかりました。残念でございますが……。

武雄 本当にね、ただ僕は本当に今までずいぶん信じとったんだ。これをやってるのを見たら、最低だよ。それでね、退職金も出しますから、なにも言わんで辞めてちょうだい。

 わかりました。長い間お世話になりました。ありがとうございます。失礼します。