内田:ツイッターが大炎上するのは、実はメディア自身が「犬笛」を吹いているからだと思います。メディアにしてみれば、炎上であれ誹謗中傷であれ、それによって閲覧回数が増えればビジネス的には成功なわけです。メディア自身が個人攻撃を「あってはならない」ことだと思って、決然とした態度をとらない限り、SNSが「いじめ」の温床になるということは終わらないと思います。

 メディアはただ情報が行き交う無機的な場じゃない。国民的な合意形成のための対話のプラットフォームです。利用者たちの市民的成熟を支援するものでなければならない。そうである以上は守るべき「品位」と「節度」というものがあって然るべきだと思います。

リスクを生きる『リスクを生きる』
内田 樹/岩田健太郎 著
定価858円
(朝日新書)

岩田:皆が一斉に叩いているときに同調しない。それを自分のルールにしています。いじめは常に、マジョリティが、マイノリティに対して行います。だから学校でいじめが起きたとき、教師はマジョリティの逆の立場、つまりマイノリティ側に立つのがプリンシプルです。そしてその先生を、他の教師皆がサポートするのが原則であるべきです。ところが日本の社会って、そういう原理原則を骨抜きにしてしまうところがあるんですよね。

内田:そうです。教員たちの中にも「いじめ」を容認する風土がある。教員個人の「教育力」について査定がなされて、低い評価をされたものは「多少つらい思いをしてもいい」というような雰囲気があるのだとしたら、学校での「いじめ」はなくなりません。

AERA dot.より転載