「超プライム市場」への期待が
幼稚な空論である理由

(1)(2)は単なる市場区分に対する過剰な期待だ。(3)(4)に至ってはふがいない上場企業が多い旧東証1部上場企業に対していら立った投資家や似非有識者の、ピント外れの処罰感情にすぎない。

 外国人投資家は流動性の大きな銘柄だけに投資することもできるし、流動性の低い時価総額の小さな銘柄に対して丁寧に投資することもできる。「プライム上場」の全銘柄を単位として売買しなければならないというルールはない。

 また、時価総額が大きい、すなわち投資家が評価する株式価値が現在高い企業が、今後も投資家が期待する以上の利益成長を遂げると期待できる理由が存在するわけではない。

 個々の企業の成長や株価の上昇は、東証の市場区分によって決まるものではなく、個々の企業のビジネスの盛衰と経営方針、財務政策によって決まる。

 東証は単に株式を取引する場所にすぎない。今回の市場再編を批判する人々は、「市場区分」や「上場ルール」の効果に対して期待しすぎではないのか。

 日本企業の株価がさえないことについて東証の責任を問うのは、全くのお門違いだ。もっとも、東証が何をしても大した効果はないということでもあるので、東証を弁護することが東証自身に喜ばれるかどうかは不明だ。

(3)に関しては、かつて「東証1部上場企業」という肩書きが、企業のステータスであった時代の記憶を引きずりすぎているように思う。

 今でも特に地方では「東証1部上場企業」というブランドに威光が残っているのかもしれない。しかし、過去の東証がこのブランドを安売りしすぎたおかげで、旧「東証1部上場企業」の価値はすっかり薄まった。それは、対象企業数が2200でも1800でも大して変わらない。

 とはいえ、田舎ではわずかに有効だったかもしれない「東証1部上場企業」のステータスを、例えば「超プライム市場」の銘柄数を500に絞ることで奪い去ることに、経済的にプラスの価値があるとは思えない。そして、「東証1部上場企業」のステータスは、時価総額があまり大きくない「限界的東証1部上場会社」にとってこそ意味があったに違いない。

 過去の経緯への責任に鑑みるなら、今回設定された「プライム市場」の上場基準は緩いものであるしかなかったし、それで案外適切なのだ。