両チームともに無得点のまま、一方の投手が完全試合を継続させている試合展開は、2005年8月27日の西武対楽天と重なった。西武の西口文也が9回を完全に抑えながら味方の援護がなく、続投した延長10回表の先頭打者にヒットを打たれて快挙が幻と化した一戦だ。

 同時にロッテが9回表のマウンドに守護神・益田直也を送った投手リレーには、中日と日本ハムが対峙(たいじ)した、07年11月1日の日本シリーズ第5戦を思い出さずにはいられなかった。

 3勝1敗で53年ぶりとなる悲願の日本一へ王手をかけていた中日は、8回をわずか86球でパーフェクトに抑えていた山井大介を、1-0とリードしていた9回表から守護神・岩瀬仁紀に代えた。

 結果は岩瀬の三者凡退斬りとともに中日が美酒に酔った。しかし、日本シリーズ史上初の完全試合への期待が高まっていただけに、落合博満監督への采配には賛否両論が巻き起こった。

 もっとも、当時は日本一がかかった特異な状況であり、さらに落合監督は後に出演したテレビ番組や発表した自身の著書で、山井が試合途中から右手中指のマメをつぶしていたと明かしている。

 定義で記したように、勝たなければ完全試合とはならない。つまり佐々木が続投して9回表も三者凡退で抑えたとしても、その裏にロッテがサヨナラ勝ちしなければ記録は認められない。

 ただ、世界で初めて複数の完全試合を、それも2戦連続で達成するフィクションの世界のような光景が現実のものになる可能性を残していただけに、交代を残念がる声も少なくなかった。

 交代直後からネット上で賛否が飛び交っていた状況で、井口監督は佐々木を交代させた理由として8回終了時で「102」に達した球数や、7回辺りから疲れが見えていた点を挙げている。佐々木自身も疲労を認め、首脳陣の指示の下、納得済みの交代だったとメディアに語った。

 試合は、延長10回に初ヒットが決勝ホームランになった日本ハムが1-0で勝利した。そして、一夜明けた18日に自身のブログを更新したロッテの吉井理人ピッチングコーディネーターは、佐々木の交代を「マリーンズベンチもよく8回で降板させました」と支持している。

「ついつい目先の勝利や記録にとらわれ、選手に無理をさせてしまうことがあるのですが、良い判断だったと思います。プロ野球は長期戦なので、選手のコンディションを考えながら勝利を目指すことが大事だと思っています」(原文ママ、以下同じ)

 19年からロッテの1軍投手コーチを3年間務めた吉井氏は、同年のドラフト1位で岩手・大船渡高から入団した佐々木の育成を、井口監督から一任されていた。その観点から、ブログでは「6回で代えてほしかったけど」と願望をつづった上で、さらにこんな見解を示している。

「佐々木は1年間フルに戦ったことのない見習い投手です。(もはや見習いとは言えない実力だが)壊れてからでは、遅いのです」