「あおられる側にも原因がある」?
制限速度と、妥当な走行速度の乖離

 では、YouTubeやSNSなどで展開されている「あおられる側にも原因がある」というその人たちの持論はというと、おおむね似通っている。言及している“あおられ運転”のパターンもほぼ同じで、大体「前を低速で走り、進路をふさぐ車」がやり玉に挙げられている。「車の流れを意識しないで運転しているからそうなる。その道路固有の車の流れに合わせることを心がけ、後続の車が迫ってきていたらすみやかに道を譲って行かせれば、無用なトラブルに巻き込まれるおそれは格段に減る」というわけである。

 筆者も昔は追い越し車線でスイスイ進みたい気持ちが強かったので、「前を走る低速の車」に対するヘイトには共感できる。道交法の第22条および第27条あたりを読んでみると、「後ろから来た車に追いつかれたらすみやかに譲るべし」的なことが書かれている。

 だから前を行く車が過剰にゆったり走っていたら「譲ってくれえー」と願うのは、法律的にも許されていることである。

 たまに、ここを拡大解釈して「道交法に『後ろから速い車が来たら無条件に譲るべし』とある」とする主張が見られるが、これは正解ではない。道交法での言及はあくまで“制限速度内”が前提であり、「スピード違反の後続車が後ろからきたら道を譲れ」とは書かれていない。正しくは、「あなたが制限速度内で走っていて、後ろから制限速度内だけどあなたより速い車が追いついてきたら、譲るべし」である。

 しかし現実を言えば、制限速度をだいぶ下回ったスピードで前を走る車というのは、ごくまれにしか出くわさない。ドライバーたちがヘイトを募らせるのは主に、たとえば制限速度80キロの高速道路で、自分は追い越し車線を100キロで走りたいのに前を80キロで走行し続ける車に対して、である。

 YouTubeを見ていると、この手の主張を繰り広げている投稿者は多い。自分が速度違反をしていることについては言葉を濁しているが、「流れが読めていない」「譲れば済むのに」など、十中八九、自身は速度超過しているであろうにおいを漂わせ、自分の走行を阻む車を「あおられ運転」と評する。

 が、しかし速度超過をした時点で違法は違法であり、どんな主張をしようとそこに正当性は宿らない。

 ……というのが道理であり、妥当な正論である。これが筆者の主張であることに揺らぎはないが、この主張に対しておそらく「いい子ぶるな」「現実に即していない」などの強い反論が多く寄せられるであろうことが如実に予想できる。

 ここまで意見がこじれているということは、あおる人・あおられる人の当事者間の枠組みを超えた、どこか別の場所に問題の根本があるのではないかという気がしてきた。

 そして思い当たったのが、「道交法と取り締まりの実情との乖離」であった。