1998年6月から7月にかけて、マリーンズは26日間勝てなかった。今でも連敗の日本記録だ。当時、小宮山は32歳。ローテーションの一角を担う大黒柱であり、精神面でもチームリーダーであった。

 最初の1敗は小宮山が喫した。6月13日、千葉マリンでのオリックス戦、4‐6。これが悪夢の端緒だった。

 連敗中は何もかもがかみ合わなかった――。そう小宮山は振り返る。先発投手が好投すれば大事な場面でエラーが出る。打線が奮起すれば投手陣が打ちこまれる。苦肉の策として先発投手をリリーフに回してもうまくいかない。逆転負けも多かった。

 ファンや関係者からは憐憫(れんびん)の混じった励ましを受け、「勝たなきゃ」と、身体のどこかに余計な力が入ってしまう。そして焦り、自分が何とかしようとして墓穴を掘る。このとき、小宮山はこう痛感したという。

「普通のことを普通にやることが、いかに難しいか」

 この「悪夢の18連敗」から小宮山は学んだ。

「できもしないことを、やろうとしてはいけない」

 やれるべきことをやる。そのことだけに集中する。

 連敗中はベンチの雰囲気もぎくしゃくしていたので、小宮山は夕食会を催して士気を高めようとした。しかしそこはプロの集団である。いかに負けが込んでも自信をなくして萎縮するようなことはなかった。惜しい試合も多く、力負けという実感がチームにない。「勝たなきゃ」という力みと同時に「明日は勝てるだろう」という楽観すら漂っていた。ここにこそ問題があったと小宮山は振り返る。

「危機感が欠如していた」

連敗ストップなるか?
小宮山が目にしたエースの「一球入魂」

 16連敗中の苦境のさなか、小宮山は「これこそ『一球入魂』だ」と胸を熱くする場面を目の当たりにする。