1969年、西ドイツで社会民主党(SPD)のウィリー・ブラントが首相になったことが、ソ連の天然ガスビジネスの発展に拍車をかけた。ブラント政権は、ソ連や東欧の共産主義諸国と融和を図る「東方外交」を展開したのだが、その中心となったのが天然ガス事業だった。

 これにより、1973年にソ連から天然ガスが東西ドイツに供給され始めた。その後、ソ連と欧州全域をつなぐ天然ガスパイプライン網が建設されていった。

 だが米英は、ソ連と欧州の天然ガスパイプライン事業に反対だった。1981年に、ロナルド・レーガン米大統領は「ソ連へのエネルギー依存度を高めることで、ソ連の欧州への政治的影響力が増大する」「外貨を提供することでソ連経済を助けることになる」と批判した。

 米国は近年に至るまで、この否定的な姿勢を維持してきた。ドナルド・トランプ前大統領が在任中、当時建設中だったロシア~欧州間の新しい天然ガスパイプライン「ノルドストリーム2」に関して、「ドイツのロシアからの天然ガスへの依存が強まり、ドイツは完全にロシアに支配される」などと厳しく批判し、パイプラインの建設が中断したこともあった。

 要するに、欧州の石油・ガス事業は、もともと米英のセブンシスターズの牙城であったが、広大なパイプラインを持つロシアにその座を取って代わられた。米英はそれに反対だったものの、パイプライン網は欧州全体に広がり、覆すすべがなかったのだ。

板挟み状態の日本が
取るべき対応とは?

 だが、あくまで結果論だが、ロシアのウクライナへの軍事侵攻は米英に、石油・ガスの権益を取り戻す機会を与えている。

 加えて米国は現在、「シェール革命」によって世界最大級の産油国・産ガス国に返り咲き、ロシアとの結びつきが強い中東への石油・ガス依存度を減らしている(第173回)。

 欧州はこの状況を踏まえ、今後はロシア産石油・天然ガスの禁輸分を、米国からの輸入増によって賄っていくことになる。加えて、「脱炭素化」の潮流の下、原子力や再生可能エネルギーへの転換も進めていく方針だ。

 この流れの中では、化石燃料のみならず「エネルギー総合企業」に転換している米英のオイルメジャーが主導権を獲得していくだろう。米英の石油大手が権益を支配し、「昔に戻る」動きはますます加速しそうだ。

 では、ロシア産石油・ガスの禁輸の動きに対して、日本はどういう対応を取っていくべきだろうか。