また、戦争は全てを戦いのための手段へと変えていく。思想や人間さえ、スパイや兵士、武器そのものとして利用される。何より多くの人命を奪い、希望や夢を根こそぎむしり取る。「世界の終末」という絶望の絵を眼前に突きつける。たとえ勝っても憎しみの連鎖は続く。戦争をしていいことは何一つない。

 文明を築き上げ、地球上の生き物の頂点に君臨している人間は、歴史上、戦争を繰り返し、国や民族を滅ぼしてきた。

 今や地球全体を滅ぼしかねない兵器を手にした以上、戦争は人類の絶滅をも引き起こしかねない。世界の終末は、決して比喩ではなく、現実となりうる。この作品の最大のメッセージはこの点にあるのではないか。

 正義とは「おろかな人間がゴマンといるから、国は正義をふりかざせるんだろうな」

「正義」ほど人を引き付ける言葉はないだろう。この言葉は、誰かのためという具体的な対象を超えたニュアンスを帯び、あたかも価値中立のように聞こえる。

「自分の仲間のために」、「自分の国のために」と言うと、敵対する相手には正しいと思われないのが普通だ。しかし「正義のために」といった瞬間、急に私的なものやエゴイズムが消え去り、あたかも正義が絶対的な価値のようにみなされる。

 だからみな正義を悪用する。国家間の戦争は決まって正義の名のもとに行われる。国家は正義を餌に人々を動員し、戦争へと駆り立てる。カウフマンが言う通り、この世には愚かな人間がたくさんいるため、皆大事なものを失ってまで、その正義の魅力につられてしまう。

 正義を謳って行われた戦争が、そして正義という概念に踊らされた人間がいかに愚かであったか。学ばねばならない。

 戦いに正義を持ち出す時点で疑わしく、正義を語る者こそ用心が必要だ。どちらが正義かは当事者が決めることではない。

 作品に登場する3人のアドルフも、それぞれの正義を振りかざしていた。しかし結局皆、正義の女神に否定された。