【必読ポイント!】
◆『火の鳥』の名言から
◇命とは「問題は、永遠の命を手に入れて……なぜ生きるのかということですよ」

『火の鳥』最大のテーマは命の重さであり、難しさだ。命の永遠を願う存在は人間だけだとさえ言える。命の重さはどの生き物にも同じだとしても、その自覚という点において人間にとって命の存在は特別である。

 人間は永遠の命を手に入れるべく足掻き続けてきた。不老不死を追い求めた秦の始皇帝をはじめ、世界中の権力者がそれを求めてきた。火の鳥の生き血を飲めば永遠の命が手に入るという伝説は世界中にある。

 生と死は、いずれも望んだわけでもないのに万人に等しく宿命として与えられる。その宿命の受け止め方は千差万別だ。

『火の鳥』でも、一生出られない穴の中で生き延びると叫んだグズリ、死ぬのが怖いと泣き叫んだナメクジ、不死が幸せではなく、いきがいを見つけることこそが大事だといった長老。力一杯生きて満足だと言ったヤマトタケルは、無駄死にが我慢ならなかった。

 生があるから生き続けようと固執する一方、死ぬからこそ死を避けたり、死に意味を持たせたりしようとする。生と死、まったく異なる二つがあるために人は苦しむ。

 不老不死により生と死の区別がなくなれば人は苦しまなくなるのか。いや、死ねないというのも苦しみだ。高僧の明雲が不老不死を「たわけの望み」と一蹴したように、生き物は生あればこそ死がある。私たちは「この人生」を生きるほかない。なぜ生きるのかということだけが重要だ。『火の鳥』は不老不死をめぐって繰り返された歴史の悲喜劇を通じ、重い問いを投げかけている。

◇いきがいとは「ぼくの一生はちからいっぱい生きてきたんだ。悔いはないよ」

『火の鳥』の登場人物は、ただ長く生きたいと望むだけの人間と、生きる意味を知りたいと望む人間とに大別できる。

 火の鳥の持つ永遠の命を追い求めるタイプは前者の典型だ。永遠の命を得るという目的のために生きているとも言えるが、永遠の命を手に入れた途端、目的を失う。すると今度は死にたくても死ねない。『火の鳥』はそうした矛盾の滑稽さや哀しさを描いている。