「世界の中で日本が勝ち上がろうとしたとき、先を見越して戦うことはまだできない」

 実際には世界はおろか、東京五輪後の昨年9月に幕を開けた、カタールワールドカップ出場をかけたアジア最終予選を勝ち抜くのにも、一戦必勝態勢となった。チーム内に約束事が存在しない以上は、ある程度の意思の疎通が図れる、慣れ親しんだ顔ぶれで戦うしかなかったからだ。

 必然的に森保監督が選ぶメンバーは“いつメン”と呼ばれるようになった。いつものメンバーを揶揄(やゆ)したものだが、対策が練りやすい点で相手にとっては大歓迎だった。加えてFW大迫勇也やMF柴崎岳ら、固定されてきた主力が調子を崩せば、その分だけチーム力も低下してしまう。

 アジア最終予選で1勝2敗と黒星を先行させ、一敗も許されなくなった瀬戸際に追い込まれた森保監督はシステムを4-2-3-1から4-3-3へスイッチ。遠藤を除いた中盤の構成も変えた。

 アジア最終予選の潮目を変えた決断は評価できる。迎えたオーストラリア代表との第4戦。試合終了間際のオウンゴールが決勝点となり、かろうじて土俵際で踏み止まった森保監督は、再び「勝っているチームはいじらない」なるサッカーの格言を愚直に実践し続けた。

 けがで離脱した選手や累積警告による出場停止の選手を除いて、敵地で勝利したオーストラリアとの第9戦までシステムも先発する選手も基本的に同じ。その間に6連勝とV字回復を果たした森保ジャパンは、ワールドカップ出場権獲得という最初の目標をクリアした。

 迎えた6月の強化試合シリーズ。いずれも日本国内で行われた4連戦で、吉田と遠藤は全てで先発に名を連ねた。本大会へ臨む代表メンバーを絞り込んでいく段階に入った中で、後半で交代した試合こそあったものの、2人は代役の利かない存在であり続けた。

 しかし、最後を締めくくるチュニジア戦で、吉田は後半に喫した3失点全てに自らのミスで絡み、遠藤は攻撃時にパスが入った瞬間に標的とされ、幾度となくボールを失ってカウンターを受けた。試合後のオンライン会見。森保監督は吉田と遠藤の異変に気づいていたと明かした。