私だって、昔の舞台を録音したものを聞いたりすると、当時のノリやスピードは薄れ、その代わりに今は別の風味のようなものが生まれてきているのを感じます。

 自分でも気がつかないうちに、自然と何かを捨てているのです。いや、捨てさせられているのでしょう。

 これから先は、行けるところまで舞台に立とうと思っていますが、おそらく酸いも甘いも経験した70代の綾小路きみまろの漫談は、うぬぼれかもしれませんが、一番面白いんじゃないかと思います。なぜなら「老い」をネタに毒を吐いてきたきみまろ自身、「老い」を日々経験しつつあるからです。まさに「毎日が発見」状態です。

 でも「老い」を経験できるというのは、ここまで生かしていただいたからこそ、です。ですから私は日々「老い」をありがたいとかみ締めながら過ごしているのです。

パンツを一人ではけなくっても、
めげない

 70歳近くになって同窓会に行くと、どちらかというと後ろ向きな話がよく聞こえてきます。骨粗鬆症(こつそそうしょう)だから骨密度を高める薬をずっと飲んでいるだの、人気者だったあの女子生徒は数年前に病気で亡くなってしまっただの、そんな老いの宿命ともいえるような話がどうしても多くなってしまいます。

 電化製品と同じで、限られた命をもつ人間には耐用年数があるのです。スイッチがつきにくくなったり、年季の入った電化製品がへんな誤作動を起こしたりするのと同じで、人の頭も体も長年使っていると、どこかが消耗しておかしなことになるのでしょう。

 私は一昨年古希になりましたが、歩くと膝がコキコキと鳴って、大変です。

 先日も脚立にのって木の枝を切ろうとしたら、膝がぐらぐらしてしまって、「ああ、これが70歳ということか……」と思いました。

 パンツも一人で、はけなくなりました。といっても、誰かの手が必要ということではなくて、壁の力を借りてのことです。以前は立ったままはけたのが、今は体のバランスが崩れてコケないよう、壁にドンと手をつきながらでないと、はけない。