『両利きの経営』著者が指摘、日本企業の多くがイノベーションを勘違いしている佐藤智恵氏

佐藤 トップダウンとボトムアップを併用した手法とは、具体的にはどういうことですか。

オライリー 島村氏が実行した改革の中でも非常に効果的だったと私が評価しているのが、組織文化改革です。島村氏は次の二つを特に意識して実行したと思います。

 まず一つめが、「既存事業部門のものづくり文化」と「新規事業部門の起業家的な文化」を両輪で回すことです。全く異なる企業文化の管理はトップにしかできません。

 既存事業部門の社員には、AGCの伝統であるものづくり文化を大切にしつつ、生産性の向上とグローバル展開に注力することを奨励し、新規事業部門の社員には、起業家のようなマインドで仕事をしてイノベーションを創出することを奨励しました。

 二つめが、最初から中間管理職を企業変革に巻き込むことです。島村氏は中間管理職から会社の戦略について直接、意見を聞くセッションをいくつも設けました。

 例えば「2025年のありたい姿」を策定した際には、早い段階から中間管理職が議論に参画し、自社がどの分野に進出すべきかについて意見を述べたと聞きます。自分の意見を社長に直接聞いてもらい、全社戦略に反映されれば、当然のことながら社員のやる気は高まるでしょう。

社名変更が
社員にもたらす影響とは

佐藤 AGCは18年に「旭硝子」から社名変更しましたが、社名変更は企業文化の変革にどのような影響をもたらしたと思いますか。

オライリー もちろん社名を変えたからといって、急に会社が変わるわけではありません。しかし社名変更には、社員に「これから私たちの会社は変わります」という強いメッセージを伝える効果があります。

 例えば21年、フェイスブックが「メタ・プラットフォームズ」に社名変更しましたが、その主な目的は「これからこの会社はフェイスブック以外のプラットフォーム事業にも注力していく」というメッセージを社員に象徴的に伝えることだと思います。経営陣が新規事業に前向きなことが分かれば、社員は既存のフェイスブック事業の枠組みを超えた新規事業を安心して提案することができます。

 経営陣が社員に変革を奨励する手法はいくつもあり、社名の変更は数ある手法の一つにすぎませんが、起業家精神にあふれた社員の能力を生かすために一定の効果があるのは間違いありません。社内で起業したい、新規事業を起こしたいと思っていた社員はますますやる気になるでしょうから。

 その意味でもAGCの事例は興味あるものだと思います。私自身は、社名を変え、組織を変え、文化を変えたAGCが今後どのように変わっていくのか、注目しています。この事例は自社を変革したいと考える全てのリーダーにとって興味深いものですので、ぜひ多くの読者に読んでいただきたいです。

チャールズ・オライリー Charles A. O'Reilly
スタンフォード大学経営大学院教授。専門は組織行動学。リーダーシップ、組織デモグラフィーとダイバーシティー、企業風土、役員報酬、組織変革などについて幅広く研究。特に「両利きの経営」研究の第一人者として広く知られる。同校のMBAプログラムでは「経営者としての視点」「既存組織における起業家的リーダーシップ」などの講座を担当。主な著書に『競争優位のイノベーション―組織変革と再生への実践ガイド』(ダイヤモンド社)『両利きの経営―「二兎を追う」戦略が未来を切り拓く』(東洋経済新報社)。最新刊に『Corporate Explorer: How Corporations Beat Startups at the Innovation Game』

佐藤智恵(さとう・ちえ)
1970年兵庫県生まれ。1992年東京大学教養学部卒業後、NHK入局。ディレクターとして報道番組、音楽番組を制作。 2001年米コロンビア大学経営大学院修了(MBA)。ボストンコンサルティンググループ、外資系テレビ局などを経て、2012年、作家/コンサルタントとして独立。主な著書に『ハーバードでいちばん人気の国・日本』(PHP新書)、『スタンフォードでいちばん人気の授業』(幻冬舎)、『ハーバード日本史教室』(中公新書ラクレ)、『ハーバードはなぜ日本の「基本」を大事にするのか』(日経プレミアシリーズ)、最新刊は『コロナ後―ハーバード知日派10人が語る未来―』(新潮新書)。講演依頼等お問い合わせはこちら。