約8カ月のバックパッカー旅行後、2002年からラオスに住み、旅行会社を経てコーディネーターになった森記者が、ラオスの映画事情についてレポートします。
1988年以降、映画は制作されていなかった
フィルムメーカーを名乗るラオス人青年と出会った。この国には、2004年まで首都にすら映画館がなかった。それは、この国の映画産業は革命により一度姿を消してしまったからだった。そして20年以上の時を経て、海外留学から帰国したクリーエーターたちにより、ようやく復活を遂げたのだ。
これまでラオスの映画産業は、国の為政者のために作品を提供してきた。フランス領インドシナ時代は、メリアン・クーパーとアーネスト・スクードサットら外国人により「チャーン(象)」(1927年)が、また政府がプロパガンダ用に「我が国」(1960年)が制作された。
1975年の革命後では、東欧の共産国家と国家シネマ局により共同制作された「ブアデーン(赤い蓮)」(1988年)がある。ラオス人フィルムメーカーであるソムオック・スッティポンらが監督した作品で、革命前夜の恋物語である。しかし、この作品を最後に20年間という長い期間、ラオスから映画制作が途絶えてしまった。
その沈黙をタイ・ラオス共同制作による映画が破った。

「サバイディー・ルアンパバーン」(2008年)は、アヌソーン・シリサクダー(ラオス)とサックチャイ・ディーナン(タイ)の共同制作によるタイ男性とラオス女性のラブストーリーが描かれた映画だ。大好評で続編「パクセーから愛を込めて」(2010年)も制作された。タイの有名俳優を起用したことで、タイでも知名度があった。その後、年1本のペースで映画が制作されるようになる。
その中では、問題作も出てきた。アニサイ・ケオラ監督による「アット・ホライズン」である。ラオスの検閲では、ラオス国の汚点となるようなことや、人民を煽動する可能性がある映像は全てカットされる。

この映画は、暴力シーンを含むため、当初、政府検閲で許可されなかったが、同監督の卒論作品(当時タイに留学中)として一般公開しないことを条件に制作が許可された。そのため、映画館で一般公開はされていない。だが、社会への問題提起や政府検閲の限界に挑戦した作品として話題を呼んだ。
ラオス映画の最新作では、制作が終わったばかりの「ハック・アム・ラム」が近々、タイで先行上映される。これも市場として大きいタイでの売上を優先したためだ。

ストーリーは、ポップシンガーを目指して村を離れた若者が成功を収め帰郷する。そこで、幼なじみで両想いだった女性と再会するが、若者を追いかけてやってきた同じレコード会社のセクシー歌手女性の登場で、複雑な三角関係へともつれこむ。彼にとっての本当の幸せとは? という内容で、随所にラオスの田舎の美しい光景が映し出される。
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