法整備進まない?
批判は抜本的な問題解決につながらない恐れ

 誤解なきように言っておくが、筆者は旧統一教会をかばっているわけではない。旧統一教会に限らず、日本の政治がさまざまな宗教団体にガッツリと支配をされている現状を踏まえれば、カルト規制法の整備は必要だと思う。

 ただ、政権与党が神道系の新興宗教や創価学会などさまざまな宗教団体を実質的な支持母体にしている以上、そう簡単にフランス流の法整備を導入できないだろう。旧統一教会のケースが突出して悪質なだけで、信仰心を試す形で高額献金や集金をさせるなどは他の宗教団体でも報告されている、極めて普遍的な宗教トラブルだ。

「フランスを見ろ!カルト規制は世界の常識だ!」と怒る人も多いだろうが、日本はそういう世界の常識に頑なに背を向けている国だということも忘れてはいけない。

 例えば、最低賃金の問題でも日本は世界の常識からかけ離れている。フランスでは物価上昇に合わせて、法定最低賃金をフレキシブルに引き上げている。他国でもそういうケースが多い。しかし日本はいまだに最低賃金を引き上げたら失業者があふれかえると大騒ぎして、気がつけば先進国有数の低賃金・低生産性の国に成り下がっている。

 こういう独自の因習を引きずる国が、「フランスでは当たり前だからカルト規制を導入すればいいじゃん」なんて話がホイホイと進むだろうか。進んでいたら「失われた30年」なんて起きていない。

 今のシビアな現実を踏まえると、今の旧統一教会への厳しい批判は抜本的な問題解決につながらず、むしろ事態を悪化させる恐れもあると危惧をしている。

 つまり、法整備などはされず、単に教団や信者個人への社会的憎悪を募らせるだけになってしまうのだ。そうなると、熱心な信者ほど「迫害を受けた」と社会を憎悪する。教団の集金行為も「地下」に潜り、実態がわからなくなってしまう恐れもある。

 繰り返しになるが、「だから旧統一教会を叩くな」などと言っているわけではない。批判は大いにすべきだし、今のように、被害者救済にあたる弁護士らの指摘に耳を傾けて、メディアも粘り強くこの問題を追いかけてもらうことも必要だ。

 ただ、感情的に批判をしているだけでは、ワイドショーネタとして消費されるだけで、何も生まれないと言いたいのだ。

 歴史を振り返れば、宗教というのは、社会からの批判を「弾圧」として受け取って、さらに信仰を強めることに利用する側面もある。キリスト教のように、弾圧から「カリスマ」が生まれることもある。感情的なバッシングが旧統一教会の力を強めてしまう恐れもあるのだ。

「カルトを滅ぼす」というのは一見、誰も反対できないような素晴らしいスローガンだが、実際にそれを実行に移すには、この国には問題が山ほどある。いきなりフランスのようなことをやろうとしても、上滑りするのがオチだ。

 まずは地に足のついた、高額献金を強いられた人を救済する仕組みや、親の信仰に悩む宗教二世を保護して、成長を支えるような国のサポートなどを整備することが急務だろう。戦争と同じで、憎い相手をののしることは気持ちいいが、それだけでは物事は何も解決できないのだ。

(ノンフィクションライター 窪田順生)