また、今のように、自分の好きな仕事、自分の適性に合った職場を求めるなどということも難しいことでした。職のえり好みなどせず、無条件に親の仕事を継ぐか、働けるところがあれば、どんな仕事であれ従事するのが当たり前でした。さらに一度就職した会社を簡単に辞めるようなことも、社会通念上からはけっしてよしとされていませんでした。

 つまり、働くこと、働き続けるということは、本人の意思とは無関係に存在する、一種の社会的要請、あるいは義務であり、そこに個人の裁量や思惑が働く余地は、ほとんど存在しなかったのです。

 そのようなことは、今の時代と比較して、一見不幸なように見えて、じつは幸せなことだったのかもしれません。なぜなら、いやおうなく働き続けることで、誰もが知らず知らずのうちに、人生から「万病に効く薬」を得ていたからです。

 すなわち、イヤイヤながらでも必死に働くことを通じて、弱い心を鍛え、人間性を高め、幸福な人生を生きるきっかけをつかむことができていたのです。

まず働くことが大切

 現在は、平和で豊かな時代となり、仕事を強要されることがなくなってしまいました。そのような現代において、懸命に働くことをせず、怠惰に生きることが、人生に何をもたらすのかということを、改めて真剣に考えるべきです。

 たとえば、あなたが宝くじに当たって、一生、遊んで暮らせるだけの大金が手に入ったとしましょう。

 しかし、その幸運が本当の幸福をもたらしてくれるものではないことに、必ず気づくはずです。

 目標もなく、働くこともせず毎日遊んで暮らせる。そのような自堕落な生活を長年続ければ、人間として成長することもできないどころか、きっと人間としての性根を腐らせてしまうことでしょう。そうすれば、家族や友人などとの人間関係にも悪い影響を与えることでしょうし、人生で生きがいややりがいを見つけることも難しくなると思います。

 安楽が心地よいのは、その前提として、労働があるからに他なりません。毎日、一生懸命に働き、その努力が報われるからこそ、人生の時間がより楽しく貴重に感じられるのです。