中国では老荘思想という老子や荘子の道家思想が、孔孟思想という孔子や孟子の儒家思想の対極として存在し、日本にも大きな影響を与えてきた。

 孔子や孟子の思想が、秩序を重んじるとすれば、老子や荘子の思想は、自然のあるがままということになろうか。

 老子のことについては何度か触れたので、今回は荘子について書いてみる。

 彼は、老子よりも気宇壮大というか、話が大きい。老子のように身近な感じはしないけど、悩める若い人の指針になる言葉は見つかるだろう。

一貫している「因循主義」

 ちょっとその前に荘子について。

「荘子の人生哲学は因循(いんじゅん)主義で一貫している。そして、それを基礎づけるものが万物斉同の哲学であった」(『荘子』 金谷治訳注 岩波文庫。以下、同じ)。金谷氏によると、因循というのは、因り循(したが)うことで、人間を超越する、万物の根本に従う生き方というようなことを意味するようだ。

 こういうと運命に従うという消極的なものと受け止められがちだが、そうではなく絶対的な逃れられない運命を自覚することで、「弱者がぎりぎりの底からたくましい強者へと転ずること」(金谷治)だ。老子で言えば、「人の生まるや柔弱」ということで、弱いものほど強いということになろうか。

 その因循主義は、万物斉同哲学によるものだ。それは人の対立や差別、たとえば美醜、善悪、生死などは真の姿ではなく、そもそもそんなものは存在していないという哲学だ。