もう耳にタコが、目にものもらいができるほどに「正解のない時代」「予測不可能な社会」というワードがメディアで毎日流れます。小さい子を持つ親としては、じゃあそんな時代を泳ぎ渡っていくにはどうすればよいのかと煽られる気分になるのではないでしょうか。わたし自身がそうなってます。
そこで親はつい「いい学校に入れること」を目標にしてしまいがちですが、どうやらそうではないようだ、という話を紹介します。徹底した少人数制授業で「対話」を重視し、多くの塾生を志望校に進学させてきた「知窓学舎」塾長の矢萩邦彦氏は、小学4年を境に子どもの「ある姿勢」が変化することを発見したと言います。新刊『子どもが「学びたくなる」育て方』の中から、その詳細をお伝えします。(構成/編集部・今野良介)

「純粋疑問」が人を学びに駆り立てる

「宇宙の果てはあるの?」
「初めての生物って誰が生んだの?」
「Switchは部品何個でできているの?」
「1秒って誰が決めたの?」
「人間ってなんで寝るの?」
「日本に山が多いのはなぜ?」
「何でサルが人間になったの?」
「りんごはどうして赤いの?」
「CMってなんで15分ごとなの?」
「ディズニーは何で入場料が高いの?」
「鼻くそって何で作られるの?」
「私はいつ死にますか?」
「食べたものは何時間でうんこになりますか?」
「車って誰が作ったの?」
「幽霊って本当にいるの?」
「テコの原理を考えた人は誰ですか?」
「なんで地球人は自給自足しないの?」
「どんな職業が一番楽しい?」
「人は何度まで熱が上がるの?」
「どうして神様は人間の形をしているの?」
「宇宙人っているの?」
「何で男と女しかいないの?」
「先生って子どもと比べて偉いの?」
「今世界で金はどれくらいあるんですか?」
「こすると消えるペンてなんで消えるの?」
「円高と円安とどっちのほうが儲かるの?」

これらは、私の授業中に小学生の生徒たちから出た質問リストの一部です。

眺めているだけで「おもしろいことを考えるなあ」と感心します。こういう質問をもらうたび、どう答えればいいだろうと考えるのが、私の趣味でもあります。

もしかしたらあなたも、お子さんから同じような質問を受けたことがあるかもしれません。

そのとき、あなたはどう答えましたか?

「こんな難しいこと、まだわからないだろう」と話すのをやめたり、子どもの疑問に対して「そんなことまだわからなくていいの」と話をさえぎったことがあるかもしれません。または、専門知識もないのにこんな難しい質問には答えられないと悩むかもしれません。

しかし、子どもが求めているのは「正解」ではなく、親が「応答してくれること」です。

「それは、おもしろい視点だね」「不思議だね」と感想を返すだけでもじゅうぶんです。

私は「どんな質問でも全部答える」という千本ノックのような授業をすることがあります。教育者として非常に鍛えられる授業です。

この授業は生徒たちにも好評で、ある大手塾で毎週そのような授業をやっていたら、他教科の先生から「子どもたちが矢萩先生みたいな授業をやってほしいと言って困る」と苦情を言われたこともありました。それくらい、子どもには聞きたいことがあるのです。

私の知らないことを質問してくる生徒もいます。

たとえば「私はいつ死にますか?」。答えにくい質問ですし、そもそも正解すらありません。でも、答えがいのある質問です。

たとえば、日本人の平均寿命の話をするのもいいかもしれません。そもそも「死」とは何かという定義からはじめてもいいかもしれない。「人は死なない」と考えている文化も世界にはあるということを伝えるのも、おもしろいかもしれません。

これらの質問をわたしは「純粋疑問」と名づけました。

そして、大手の進学塾に通う子は、小学4年生を境にこうした純粋疑問が減り始め、5年生の夏期講習くらいまでには、ほとんど持たなくなります。

それを私は「小4の壁」と呼んでいます。

なぜ、小4から小5にかけて純粋疑問がなくなってしまうのかというと、受験勉強が本格化することと無関係でないと思います。

要するに「受験に関係のないことは考えても無駄」と大人たちに教えられるからです。

子どもは、根源的に、わからないことを知りたいと思う生き物です。しかし、その欲求をまったく満たしてもらえなかったり、否定され続けると、疑問を持つことそのものにストレスを感じるようになります。ある種の防衛本能として「疑問なんか持たないほうがマシ」と考えてしまうようになります。

この状態を「無自覚な思考停止状態」と呼びたいと思います。

そして5、6年生になれば、生徒同士でも「そんなこと考えて意味あるの?」と馬鹿にしたり「関係ない質問で授業の邪魔をするな」とけん制する声まで上がります。

私は子どもたちがこの無自覚な思考停止状態になることを、とても残念なことだと思っています。「疑問を持つ」というのは、対象に自分から興味・関心を持ったとても主体的な行動です。

主体性がなければ人は何も学べません。どんなにおもしろいテキストや教材も、自分から興味を持ったものにはかなわないのです。

大手進学塾に通う子が「小4」から思考停止状態になってしまうシンプルな理由主体性は「純粋な疑問」から育まれる。 Photo: Adobe Stock

子どもの疑問をまわりの大人が大切にすることで、勉強嫌いの子どもが自分から本を読むようになったり、研究者になりたいと言い出して受験勉強をはじめたという例はたくさんあります。

そして、純粋疑問のリストを眺めていると、気づくことがあるはずです。みなさんの子ども時代を思い出してほしいのです。

私たち大人も、このような疑問を持った時期があったはずです。それがなくなってしまったのはなぜでしょうか?

子どもの純粋な疑問に触れることは、これまで受けてきた教育によって凝り固まった大人の頭をほぐすきっかけにもなるのです。

答えのない問いについて考えることや、予測不可能な社会と向き合うことがこの先の未来を作っていくのだとしたら、大人も、もう一度子どもの純粋疑問から学び、予定調和なものの見方を改めるほうがいい。

子どもとの対話は、疑問を持つ力を、私たちが取り戻す時間でもあると思います。(了)

矢萩邦彦(やはぎ・くにひこ)
「知窓学舎」塾長、実践教育ジャーナリスト、多摩大学大学院客員教授、株式会社スタディオアフタモード代表取締役CEO
一児の父。親の強い希望で中学受験をしたものの学校の価値観と合わず不登校になり、学歴主義の教育に強い疑問を抱えて育つ。1995年、阪神・淡路大震災の翌日に死者数で賭け事をしている同級生を見てショックを受け、教育者の道を歩み始める。大手予備校で中学受験の講師として10年以上勤め、2014年「すべての学習に教養と哲学を」をコンセプトに「探究×受験」を実践する統合型学習塾「知窓学舎」を創設。教師と生徒が対話する授業、詰め込まない・追い込まない学びにこだわり、「探究型学習」の先駆者として2万人を超える生徒を直接指導してきた。
受験を通して「学ぶ楽しさ」を発見することを目指して、子どもが主体的に学ぶ姿勢をとことんサポート。ライブパフォーマンスのように即興で流れを編集するユニークな授業は生徒だけでなく親も魅了する。多くの受験生を志望校進学に導き、保護者からの信頼も厚い。新しい教育を実践しようとする教師・学校からの相談も殺到し、多数の教育現場で出張授業、研修、監修顧問、アドバイザーなどを兼務。生徒たちに偏差値や学歴にとらわれない世界の見方を伝えるため、自身の学歴を非公開としている。
「子どもと社会をつなぐことのできる教育者」を理想として幅広く活動。住まいづくりや旅づくりの研究と監修、シンガーソングライター、カメラマンなどアートの領域から、ロンドンパラリンピック、ソチパラリンピックにジャーナリストとして公式派遣されるなど、一つの専門分野では得にくい視点と技術の越境統合を探究。独自の活動スタイルについて編集工学の提唱者・松岡正剛氏より「アルスコンビネーター」の称号を受ける。「Yahoo!ニュース」個人オーサー・公式コメンテーター。LEGO® SERIOUS PLAY®メソッドと教材活用トレーニング修了認定ファシリテーター。キャリアコンサルティング技能士(2級)。Learnnet Edge『自由への教養』探究ナビゲーター・カリキュラムマネージャー。常翔学園中学校・高等学校 STEAM特任講師。聖学院中学校・高等学校 学習プログラムデザイナー。文部科学省「マイスター・ハイスクール」伴走支援事業スーパーバイザー。2022年10月、初の単著『子どもが「学びたくなる」育て方』を上梓。