人的資源から人的資本へ──。日本でも人材の再定義が急速に進みつつある。

 アダム・スミスは、人的資本という言葉こそ使っていないが、資本を定義するに当たって「社会のすべての住民、または構成員が獲得した有用な能力」を含めた。一説には、人的資本という言葉を最初に使った人物は、アメリカ近代経済学の礎を築いたアーヴィング・フィッシャーといわれている。

 1992年にノーベル経済学賞を受賞したシカゴ大学のゲーリー・ベッカーは、1964年に『人的資本』(東洋経済新報社)によって、曖昧な人的資本という概念を理論化し、この業績が受賞の理由の一つとされている。この人的資本理論では、人間をコスト(人件費)ではなく、教育や福利厚生、経験などの投資(インプット)次第で業績(アウトプット)が変動する「資本」として考える。

 人的資本が注目されるようになった発端は、知財やブランドなどの無形資産の定量化であり、SDGs/ESGが棹差したといわれる。WEF(世界経済フォーラム)は、2012年より『グローバル人的資本レポート』を毎年発行し、その中で「グローバル人的資本指数」によって世界各国のランク付けを行っていた。WEFが同レポートの発行を終了した2017年の翌年からは、世界銀行が『人的資本指標』という報告書を発表しており、最新の2020年版では第1位はシンガポール、2位は香港、日本は3位にランクされている。

 歴史をひも解くと、「日本的経営の祖」と称され、鐘淵紡績を立て直した武藤山治(むとうさんじ)が、1919年に開催されたILO(国際労働機関)の第1回国際労働会議で、福利厚生の充実が労働者の幸福増進につながる(まさに人的資本への投資)ことを趣旨とした「従業員待遇法」を披露したところ、各国から激賞されたという。近江商人の歴史と重ねても、日本では、従業員を価値創造の源泉ととらえ、彼らと一体化した経営が古くから実践されてきたことをいま一度確認したい。

 ISO(国際標準化機構)は2018年12月、人的資本の情報開示のガイドライン「ISO30414」を発表した。続いて2020年8月には、SEC(米国証券取引委員会)が、上場企業に対して人的資本の情報開示を義務付けた。日本でも、経済産業省の主導の下、「人材版伊藤レポート」が2020年9月に公表され、2年後には「人材版伊藤レポート2・0」がまとめられた。

 以上のように、人的資本という新しいビジネスジャーゴンが登場した。そこには、旧態依然といわれる日本の人事慣行の改革が期待される一方、例によって出羽守や事大主義が跋扈(ばっこ)するのも間違いないだろう。「人事は他人事(ひとごと)」といわれるとはいえ、誰もが一家言ある分野でもあるからだ。それゆえ、ある分野の専門家が専門外についても詳しいと感じてしまうハロー効果などの認知バイアスも働きやすい。

 したがって、DX以上に玉石混交の議論や空理空論が予想される。人事や組織の研究者が参加していない「人材版伊藤レポート」には、(領空侵犯という意味ではなく)各方面からさまざまな批判がある。実際、総花的であり、論理実証的とは言いがたい。

 今回のインタビューでは、人間の価値を再発見し、人間を大切にする経営について考える契機ととらえ、前向きで賢明な意思決定と取り組みを後押しすべく、第60回日経・経済図書文化賞を受賞した『人材覚醒経済』(日本経済新聞出版社)の著者である慶應義塾大学の鶴光太郎氏に、日本の人的資本経営に関する課題や方向性、危うい議論などについてレクチャーを受けた。

日本では「ジョブ型雇用」が
正しく理解されていない

編集部(以下青文字):先生は、2013年の政府の規制改革会議委員・雇用ワーキンググループの座長を務め、雇用改革の切り札として「ジョブ型雇用」を掲げました。昨今の第2次ブームでは、その内実が必ずしも正しく理解されていない、いろいろな誤解が散見されると苦言を呈されています。

経営者が知っておくべき<br />「人的資本」経営の論点慶應義塾大学大学院 商学研究科 教授
鶴 光太郎 KOTARO TSURU
慶應義塾大学大学院商学研究科教授。経済産業研究所プログラムディレクターならびにファカルティフェローを兼ねる。東京大学理学部数学科卒業後、経済企画庁に入庁。在籍中に、オックスフォード大学大学院で博士号を取得(経済学博士)。OECD経済局エコノミスト、日本銀行金融研究所研究員を歴任。2013~16年の間、内閣府規制改革会議委員(雇用ワーキンググループ座長)を務める。主な著書に、『日本的市場経済システム』(講談社現代新書、1994年)、『日本の経済システム改革』(日本経済新聞社、2006年)、『人材覚醒経済』(日本経済新聞出版社、2016年|日経・経済図書文化賞受賞)、『性格スキル』(祥伝社新書、2018年)、『AIの経済学』(日本評論社、2021年)がある。共著に、『日本の財政改革』(東洋経済新報社、2004年)、『日本経済のマクロ分析』(日本経済新聞出版社、2019年)などが、また編著に、『労働市場制度改革』(日本評論社、2009年)、『労働時間改革』(日本評論社、2010年)、『非正規雇用改革』(日本評論社、2011年)、『最低賃金改革』(日本評論社、2013年)、『経済学は何をすべきか』(日本経済新聞出版社、2014年)、『雇用システムの再構築に向けて』(日本評論社、2019年)などがある。

鶴(以下略):ジョブ型雇用が再び脚光を浴びるようになった背景として、2019年から経団連がその旗振り役になったことに加え、新型コロナウイルスのパンデミック下において在宅勤務が普及したことで、従来のやり方では従業員の管理や評価がうまくいかなくなったことが挙げられます。裏返すと、職務内容が具体的に明確化されるジョブ型雇用のほうが実態に即しているという理屈です。

 ただし、そうした考え方も含めて、「ジョブ型雇用とはいかなるものか」について正しく理解されていないこと、そのせいで誤解やボタンのかけ違いが多々発生しているように思います。たとえば、ジョブ型雇用の対義語をメンバーシップ型雇用とし、イコール日本型雇用システムと考えるのは、とんでもない間違いです。

 その典型が「ジョブ型雇用は成果主義を旨とし、解雇は自由である」という認識です。ジョブ型雇用は本来、職務に応じて賃金が決まるという職務給の世界と親和性が高く、査定はありません。成果主義は査定を必須としますので、成果主義とジョブ型雇用はそもそも水と油の関係なのです。また、解雇が自由にできるのはアメリカだけの雇用慣行であり、ヨーロッパはジョブ型雇用ではあるものの、日本と同じく解雇への規制は強い。

 そう考えると、日本型雇用システムは時代遅れの産物であり、アメリカ型こそ素晴らしいとジョブ型雇用を唱導しているのはいわゆる「出羽守」である、と意地悪な見方もできるでしょう。

 実際、出羽守の多くは成果主義が大好きです。1990年代末から2000年代半ばにかけて、成果主義ブームが一時話題になりました。ですが、じきにしぼんでしまった。その背景に「人件費を下げたい」という企業の本音が見え隠れし、企業と従業員の長期的な信頼関係を毀損させかねないと察知されたからです。しかし、今回の第2次ジョブ型雇用ブームで息を吹き返し、捲土重来しつつあります。

 在宅勤務の普及によって従来の働き方や人材マネジメントの弱点が明らかになったわけですが、これを大義名分として、「成果主義よ、もう一度!」というところでしょうか。我々の研究では、「形を変えた成果主義のジョブ型雇用」では成功はおぼつかないどころか、「百害あって一利なし」であることがわかっています。