パスポートでショッピング旅行から一転

 沖縄航空路線の歴史をたどると、1954年にJALが羽田~那覇線を就航していたが、本土復帰前の沖縄はパスポートが必要で、各地との航空路線網は発達していなかった。

 沖縄では戦後、日本円や米軍政府発行のB型軍票(B円)が使われていたが、58年からドルが使われるようになった。高度経済成長で豊かになった日本人はこの時期から海外旅行者が増え、外国製品や高級品への憧れが高まっていた。

 そこで注目されたのが、米軍支配下にある沖縄では外国製のウイスキーやたばこ、香水などが安く買えることだった。当時は外貨持ち出し額の制限があり、持ち出し額は500ドルまでに限られていたが、観光客はその多くを舶来品のショッピングに費やしていたという。酒、香水、時計、葉巻やたばこは申告で免税になる範囲が決まっていた。

 72年の本土復帰により日本人の沖縄への渡航にはパスポートが不要となった。観光客は急増し、75年には沖縄国際海洋博覧会が開催されることが決まり、自動車道や空港などのインフラ整備や宿泊施設の整備が一気に進んだ。那覇空港にターミナルビルが完成したのもこの頃で、旅客の受け入れ体制が拡充していった。

 復帰の72年、ANAが羽田~那覇線を就航し、初めて沖縄キャンペーン「キラキラ那覇」を実施した。