1977年ANA・JAL沖縄キャンペーン競争が勃発

 そして77年4月から団体包括旅行割引運賃(パック旅行運賃)の適用が始まり、ANAとJALがキャンペーン競争の火ぶたを切ったことが沖縄観光を盛り上げた。ANAが「おぉきいなぁワッ」、JALが「Let's Kiss the sun」をキャッチフレーズにアピール合戦をスタート。JALが山下達郎さんの『夢を描いて』をキャンペーンソングに採用したテレビCMを流しヒットすると、ANAも83年に山下達郎さんの『高気圧ガール』、87年に同『踊ろよ、フィッシュ』をキャペーンソングにした。

 両社が展開したキャンペーンは、沖縄の青い海や白い砂浜のイメージを定着させ、大きな効果を上げた。若者がこぞって沖縄に向かい、新婚旅行先としても人気が急上昇。沖縄本島だけでなく、石垣島や宮古島などの離島にも大型リゾートホテルの建設が進み、映画やテレビ番組のロケ地として沖縄が取り上げられるようになった。

 こうして絶大な効果を上げた沖縄キャンペーンだったが、90年代末からは徐々に縮小された。その後は、映画とのタイアップや、北海道との共同キャンペーン、あるいは年間を通じて割引や特典がもらえるものなど、季節を問わないものになった。

 その決定打となったのは、ANAが2006年に実施した「マッタリ~ナ ホッコリ~ナ沖縄」で、これまでと大きく違い、秋冬のキャンペーンに変わった。前出の下地氏は、夏を中心としたキャンペーンから、秋・冬を中心としたキャンペーンへの変更は、沖縄観光が「若者を中心とした夏のリゾート」から「世代を超えて癒やしや休養を目的とする保養型リゾート」へと変化していることを示しているという。

 なお、沖縄キャンペーンについて、当のJALは下記のコメントをしている。

「沖縄キャンペーンの時代背景として、高度成長期の日本では国民総所得が大幅に増え、海外ツアーや国内遠方旅行が身近になり、ツアー造成が盛んになった。その最たる象徴として、有名タレントを起用するなどのPRも含めた沖縄や北海道へのプロモーションを積極的に実施していた」

「近年は個人消費のスタイルが変わり、旅行も「個」の時代となって、大量輸送キャンペーンからは異なるプロモーションに変容している。一例として、2009年以降は、『ちゅらナビ』というJALオリジナルのクーポンブックを沖縄方面路線の機内で配布している。現地の約50の店舗や施設において食事や買い物、観光などで割引などお得な特典を利用できるものだ」

「JALグループとしては現在、一つの地域に特化したキャンペーンは実施しておらず、『JAL DREAM EXPRESS Disney100』や『JAL×ユニバーサル・スタジオ・ジャパン ジェット』などの特別塗装機を就航させている。沖縄については、日本で一番早い沖縄の海開きシーズンに合わせて開催される『琉球海炎祭』や、『石垣島トライアスロン』などのイベントに毎年協賛している。今後もお客さまに喜んでいただける商品造成に取り組んでいく」

JALが沖縄好調の裏に「沖縄キャンペーンの歴史」、貴重な資料写真も公開1998年キャンペーンのはがき。俳優の反町隆史さんがモデル(筆者私物) 拡大画像表示
JALが沖縄好調の裏に「沖縄キャンペーンの歴史」、貴重な資料写真も公開
1999年キャンペーンのはがき。俳優の藤原紀香さんは4年連続でJAL沖縄キャンペーンモデルを務めた(筆者私物) 拡大画像表示
参考文献:下地芳郎『沖縄観光進化論』(琉球書房)

>>本企画のANA編「ANA沖縄キャンペーンの歴史」を読む