高校生3年で作曲家デビュー
大学生1年で歌手デビュー

 ユーミンは1954(昭和29)年1月生まれで、筆者は同い年だが遅生まれなので1学年下だった。シングル盤「返事はいらない」(1972)でデビューして50周年だが、72年には多摩美術大学の1年生だったはずだ。「同じ高校生が大手レコード会社からシンガー・ソングライターとしてデビューした」と長年思いこんでいたが、作曲家としてのデビューが1年前で、確かに高校生だった。つまりプロの作曲家としては22年でデビュー51周年、23年で52周年になる。

 1971年、筆者はごく普通の高校2年生である一方、ユーミンはなんと高校3年で楽曲をレコード会社に提供していたのである。その楽曲のことはよく覚えている。かなり話題になったからだ。「愛は突然に」というバラードで、チェンバロやピアノによる4拍子のクラシック風前奏が記憶に残る。歌手は加橋かつみ(1948~)だ。

 と、ここまでは当時の音楽雑誌や週刊誌を読んでいて覚えていたが、どうして元ザ・タイガースの大スター、加橋かつみに高校生が楽曲を提供できたのかは不明だった。

 1970年前後といえば、グループサウンズのブームとフォークソングのブームが入れ替わり、当時はフォークギターを所有する高校生も多く、作詞作曲する青少年もたくさんいた。が、高校生が大手レコード会社の大スターが歌う曲を提供したことは、驚天動地のニュースだった。

 2022年10月、ユーミン50周年を記念して山内マリコ著『すべてのことはメッセージ 小説ユーミン』が発売され、この本を読んで50年ぶりにその経緯がわかった。本書は小説だが、実名で書かれたドキュメント・ノベルである。多くの関係者に取材したことがわかる。

 さて、本稿後編では、なぜユーミンが高校3年生で作曲家デビューできたのか。日本のポップスの歴史を振り返りながら、グループサウンズとユーミンをひもとき、ユーミンのデビュー時の知られざる秘話について記していく。

【参考文献】

山内マリコ『すべてのことはメッセージ 小説ユーミン』マガジンハウス、2022年10月

加橋かつみ「若き日の京都時代とザ・タイガースと自由について語る」(「ロック・ジェット」第54号所収)シンコー・ミュージック、2013年12月

松任谷由実オフィシャルサイト https://yuming.co.jp

>>後編へ続きます

【訂正】記事初出時より以下の通り訂正します。
9段落目:記念のベスト盤(2枚組)「ユーミン万歳!」→記念のベスト盤(3枚組)「ユーミン万歳!」
(2023年1月16日15:31 ダイヤモンド編集部)
>>後編『ユーミンの偉大さを実感!「YUMING MUSEUM」は作品の歴史館であり文学館だ』を読む