シュンペーターはロンドン・スクール・オブ・エコノミクス(LSE)研究員のポジションで、ロンドン大学の他のカレッジ、オックスフォード大学、ケンブリッジ大学のいくつかのゼミナールに参加した。ケンブリッジの超大物経済学者アルフレッド・マーシャルにも会っているが、いちばん影響を受けたのは社会学者エドワード・ウェスターマークなのだそうだ。シュンペーター自身、ウィーン大学法-国家学部へ1908年に提出した履歴書に「社会学の研究で著しい刺激を受けた」と書いている。

 ウェスターマークとはどういう人物だったのだろう。著書『人類婚姻史』に邦訳(※注1)があり、絶版ではあるものの、古書店で入手することができた。大きな図書館にも所蔵されている。本書には訳者、江守五夫さんによる解説が付されており、ウェスターマークの略歴を知ることができた。

 それによると、ウェスターマークは1862年、ヘルシンキに生まれたフィンランド人で、1887年ごろ婚姻史の研究のため渡英し、大英博物館図書室(現在の大英図書館)で資料の調査にあたった。4年後の1891年に『人類婚姻史』第1版を上梓している。その後、ヘルシンキで大学教授に就任した。1898年から1902年にかけてはモロッコで調査している。

 1907年にロンドン大学(LSE)社会学教授に就任、1911年に『人類婚姻史』第4版を刊行した。シュンペーターがウェスターマークのゼミに入ったのは1907年だから、ちょうどLSEに赴任し、『人類婚姻史』第4版へのブラッシュアップを図っていた時期にあたる。

 本書は世界各地の婚姻の形態、歴史を詳細に分析したもので、他に類を見ない書物なのだそうだ。図書館でぜひご覧いただきたい。シュンペーターが影響を受けたのは、社会学の多様な面白さなのだろうか。

ロンドン社交界にデビュー
その後まもなく電撃結婚へ

 シュンペーターはロンドン社交界にデビューすることになる。同年生まれのケインズもまったく同時期に上流階級のクラブに入っている。二人は遭遇していないが、似たような環境にあり、同じロンドンにいたのである。

 シュンペーターの母親は継父ジークムント・フォン・ケラーと1906年に離婚しているが、姓名はヨハンナ・フォン・ケラーのままである。つまりウィーン貴族の姓名のままだった。シュンペーターは母親から貴族の立ち居振る舞いを仕込まれていたそうだから、ロンドン社交界で磨きをかけたことだろう。

 そうこうしているうちに、ロンドンで急に結婚することになった!なんと、相手は英国国教会の高官の娘、グレイディス・リカード・シーヴァーである(※注2)。1907年8月に婚約し、11月5日に電撃結婚したのである。このときシーヴァーは36歳、シュンペーターは24歳だった。