重要な判断ポイントは
中央銀行と政府の関係

 この例だと、特に判断のポイントになるのは中央銀行と政府の関係だろう。国債の時価評価で日銀のバランスシートが実質債務超過になることはあり得る。だが、それで日銀の信認が決定的に損なわれるわけではない。政府には、保証を与えるなり、何らかの増資(やその予約)をするなり、公的資金を投入するなり、いくらでも日銀の信用を補完する方法がある。政府が何もしなくても、必要があれば何かするという期待だけで十分な信用になる場合もあり得る。

 政府には中央銀行が必要だ。そして、現在の中央銀行をいったんつぶして新しい中央銀行を作り直すよりも、中央銀行をつぶさないで存続させる方がはるかにコストは安い(新しい中央銀行が新たに信用を得るのは大変だろう)。

 実質債務超過だけで日銀の信用が損なわれると考えることは非現実的だ。だとすると金利の上昇は普通の場合、為替レートの上昇要因だ。現にごく最近、長期金利が0.25%から0.5%に上昇した時には、大幅な円高になったではないか。

 先の「情報」は、信じるに足らないものであることが分かった。

 この時点で、「無意味なものを読んだ」とだけ思うか、「円の不安をあおって、情報の提供者は何をしたいのだろうか」と次の疑問を持つか(あまり意味はないと思うが)、「こんな話を信じる人が一体どれだけいるのだろうか」「編集者もだまされたのだろうか」などと別の問いを立てるかは人それぞれだろう。しかし、こうした理解(筆者の理解が正しいとしてだが)に至らない人がこの情報に触れることは、控え目に言っても無味だし、勘違いして信じてしまう可能性を考えると有害だ。

 幾らか判断が微妙なのは、「勉強すれば理解できる」と思われるケースだが、その勉強に時間がかかるとすると、投資情報の多くは無価値になる。

 結果論以前に、「判断ができるのか?」というそもそも論の段階で、接することに利益のない投資情報が大量にあるはずだ。投資が無上の価値のある趣味ならいざ知らず、投資家も生活を抱えているのだから、時間を大切にした方がいい。