「権力」についても同じことがいえる。私が官邸で過ごした時代に「官邸主導」が強くなったとの指摘があるようだが、安倍晋三総理(当時)と私が目指したのは、権力それ自体を手にすることではなかった。「権力」も、あくまでも目的達成のための手段であった。

 社会の変化や問題の顕在化のスピードが加速度的に増している現在、迅速な政治決断が必要であるにもかかわらず、省庁間の「縦割り」やさまざまなしがらみによってそれがなされない状況がある。そこへ風穴を開けるためにこそ、総理や官房長官の「力」が必要なのである。

 そのために、各省庁から派遣されている秘書官たちやその他の官邸スタッフの能力を最大限、発揮できるような環境をつくることに、官房長官として意を用いていたのが、官邸での日々の実相だった。

官房長官・総理としての
「菅義偉の決断」を書き記す

 官房長官としての約8年間は、「経済」と「地方」に注力する日々だった。安倍政権は最優先課題として「経済再生」を掲げ、成長戦略実現のためのさまざまな法律を成立させた。これらの法律の効果的な実施を担保する立場にある官房長官として、各省庁に「法律を生かせ、成果を出せ」とハッパを掛け続けた。

第2次安倍内閣組閣時の記念写真に納まる安倍晋三総理(当時、前列中央)と筆者(前から3列目の右端、2012年12月撮影) Photo:JIJI

 同時に「地方」に関しても、観光立国をはじめとする地方創生に資する政策はもちろん、2014年からは沖縄基地負担軽減担当大臣として、沖縄という「地方(ふるさと)」の問題にも向き合った。

 さらに、幅広い範囲に責任が及ぶ中でも、官房長官として最も重視した任務の一つが「危機管理」だった。これには、安倍政権発足直後の13年1月に起きたアルジェリアの人質事件や頻発する自然災害対策、あるいは新型コロナウイルス感染症のようなパンデミック(世界的大流行)への対処も含まれる。

 特に災害や新型コロナのように多くの国民の日常生活を脅かす危機については、経済活動への影響をも考慮した対策が必要になる。

 常に心掛けていたのは、これらの国家の危機に対処するに当たって、総理官邸が常に司令塔としての機能を果たし、その責任から決して逃げないこと。

 そして、最終決定権者である総理が最も望ましい決断を下せるよう、危機を乗り越えるための管理におけるあらゆるメニューを用意することだった。