約8年間、官房長官の職に専念し、「総理の座を目指すつもりはない」と常に言い続けながら、20年の自民党総裁選挙に立候補する決断をしたのも、安倍総理の無念の退陣の後、まさにこの新型コロナ対策という「危機管理」の継続性を確保する必要があると考えたからだ。

 感染防止と経済活動の両立、さらには世界的感染症がまん延する中での東京オリンピック・パラリンピックの開催を控え、「一刻の猶予もない状況で、自分ができることは何か」を考えに考え抜いた末の決断だった。

 総理官邸で、官房長官という職を担った約8年間。そして総理として勤めた1年間──。

 安倍総理の突然の辞任で総裁選に立候補し、脇目も振らず駆け抜けたために、官房長官時代を含め、「官邸でどのような意思決定が行われてきたのか」「総理、官房長官、官僚の本当の仕事ぶりとはどのようなものだったのか」といったことを、改めて振り返る機会もなかった。

 官房長官として、あるいは総理としての菅義偉が何を考え、どう決断してきたのか。官邸での日々を、まだ記憶が鮮明なうちに振り返り、記録として残しておきたいと考えた。

 私自身が語る官房長官、そして、総理としての日々の記録は、これから政治を志す方々はもちろん、社会のあらゆる立場、あらゆる場面で「決断」や「選択」を迫られる全ての方々にとって、わずかばかりでも得るところがあるのではないかとも思う。

 1996年、衆議院議員選挙に初当選した際、政治の師と仰ぐ梶山静六先生から掛けられた言葉を、今も鮮明に思い出す。「政治家の仕事は、国民の食いぶちをつくることだ。そのために何ができるか、しっかり勉強しろ。必死で勉強し、そして自ら行動しろ」

 国民にとって「当たり前」の政治をやるために全力を尽くす。その一心で取り組んできた官房長官としての約8年間、そして総理としての1年間を、本連載で振り返ってみたい。

(構成/梶原麻衣子)

訂正 記事初出時より以下の通り訂正します
最後から2段落目:梶山清六→梶山静六
2023年7月31日22:46 ダイヤモンド編集部