震災から15年、見過ごされてきた「心の復興」。 働き盛りの被災者を突如襲う「復興感の二番底」
1995年1月17日に起きた「阪神・淡路大震災」。M7.3を記録したこの大地震は、6434人の尊い命を奪った。

 6434人の命が失われた阪神・淡路大震災から今年で15年。街並みは復興を遂げたように見える。しかし、1人1人の個人にとっての復興はどうなのだろうか。

 今まで詳しくは明らかになってこなかった、個人の「心の復興」を浮かび上がらせる新たな調査手法が開発された。それが「復興曲線」という手法だ。この手法では、被災者に震災からの15年の心の軌跡を線で描いてもらい、その曲線を読み解くことで、どこまで復興がなされたかを知ることができる。被災者の心の内を視覚化できる手法として、災害研究の最前線で使われ始めている。

震災から15年、見過ごされてきた「心の復興」。 働き盛りの被災者を突如襲う「復興感の二番底」
被災者に聞き取り調査した「復興曲線」。横軸が震災から今に至る時間を示す。グラフが上に行くほど「復興感」を感じていることになる。

 NHKは、日本災害復興学会と共同で被災者100人に「復興曲線」を書いてもらう調査を行なった。100人が描く復興の歩みは、地震多発列島に生きる私達にどんなメッセージを投げかけるのか、追跡した。

「復興感の二番底」
に襲われる被災者たち

震災から15年、見過ごされてきた「心の復興」。 働き盛りの被災者を突如襲う「復興感の二番底」
復興曲線を詳しく分析していくと、震災後一度上昇した曲線が3年以上経ってから再び落ち込むという「復興感の二番底」といえる現象が、3割以上で見られた。

 被災者が描いた100枚の曲線の形に注目すると、ある1つの特徴が浮かび上がった。震災後、一度上昇した曲線が3年以上経ってから再び落ち込む形が、3割以上で見られたのだ。こうした「復興感の“二番底”」ともいえる曲線は何を語るのだろうか。

 二番底の曲線を書いた下山和也さん(47)は、震災で両親の暮らすマンションが全壊した。両親は崩れた建物に閉じ込められ、3日後運び出された時には息絶えていた。悲しみの底にあった下山さんの曲線は、直後から上昇していく。死という現実を受け入れるまもなく、両親が亡くなったマンションの再建に関わることになったからだ。

 再建には70以上の世帯が関わり、費用の分担など利害調整に2年近い歳月がかかった。長期に渡る生活の立て直しを強いられた下山さん心の動きを示す復興曲線は、比較的高い位置で推移していた。

 「仕事と生活と再建、悲しいなどと考える余裕がなかった」

と下山さんは言う。

 しかし、マンションの完成は震災から約3年後、この後下山さんの曲線は急落する。

 「ずっと頑張ってきたが気持ちが和らいだ瞬間に、溜まっていた感情が出てしまって」

 この頃、下山さんには震災直後耳にしたある言葉が心に蘇っていた。

 「レスキューの人は『あと半日早かったら』と言っていた。もしかしたら助かっていたかも…。それを思い出すとつらいんです」