全国に「名ばかり自治」が蔓延するなか
将来を見据えた香川県三豊市の取り組み

 地方自治の現場取材を続けるうちに、少々のことでは驚かなくなってしまった。全国各地でおかしな現実に遭遇してきたからだ。

 相変わらず、行政と住民の双方に「おまかせ」や「おうかがい」、「おねだり」や「おしつけ」の姿勢が蔓延している。なかには「地方分権」や「地域主権」というかけ声が虚しく響くほど、「名ばかり自治」を爆走する地域もある。

 しかし、ごくごくたまに「へえー、こんな地域があるんだ」とびっくり仰天することもある。行政が将来をきちんと見据えた施策を打ち出し、住民もそれにしっかり呼応している地域に出くわしたときだ。

 本当に滅多にないことだが、最近では香川県三豊市でそれを感じた。「僥倖を得た」とでも言うべきか。

 香川県西部に位置する三豊市は、人口6万8512人(2010年国勢調査)。市の北西部が瀬戸内海に面し、豊かな田園地帯となっている。三豊市は2006年1月に旧三豊郡内の7町が合併してできた。しかし、新市誕生までの道のりは険しいものだった。

 合併協議は枠組みをめぐって紛糾し、離合集散を重ねた。結局、約5年間もの協議を経て、7町合併で落ち着いた。最大の難題である本庁舎については、市発足当初は旧豊中町役場とし、合併後10年以内に新庁舎を旧豊中町内に建設することで結着した。「平成の大合併」の期限切れ(06年3月末)が迫り、とにかく合併しようという雰囲気になっていたのである。

 対等合併した旧7町の規模にそれほど大きな差はなく、言ってみればドングリの背比べだった。このため、三豊市は市街地が点在し、明確な中心地の存在しない多極分散型の自治体となった。

 合併後最初の市長選が2006年2月に実施され、旧詫間町と旧高瀬町、それに旧山本町の3町長の争いとなった。三つ巴を制したのは、市長選で財政難などを理由に新庁舎建設の白紙撤回を掲げた、旧詫間町長の横山忠始氏だった。