吉野屋の牛丼をヒントに
宅急便を生み出した?
東大を卒業した小倉が、父親から引き継いだのが大和運輸(現ヤマト運輸)だ。当初は、どんな荷物でも取り扱える総合物流業者を目指したが、一向に利益が上がらず倒産の危機に直面した。70年代、窮余の策として宅急便に望みを託す。
窮地を救うヒントとなったのが吉野屋の牛丼だった。
小倉は自著にこう書く。
「以前に読んだ新聞記事が頭に浮かんできた。メニューを牛丼に絞り込んだら、利益が増えたという話だった。普通に考えれば、品数を減らせば客も減る。だが、吉野家はだいたいな絞り込みによって特長をだし、逆に客を増やしたのである。/そうだ、この際、理想的な運送会社を目指すのをやめて、取り扱う荷物を絞り込んだらどうか。これが宅急便のコンセプトの最初のヒントになった」(『経営はロマンだ!』)
曲折を経て家庭の主婦から荷物を集め、全国津々浦々に運ぶというビジネスの構想にたどり着く。
宅急便に十分な勝機がある、と確信するのは、出張先の米ニューヨークでのこと。小倉はこう書いている。
「マンハッタンを歩いていると、十字路の周辺に米大手輸送会社、ユナイテッド・パーセル・サービス(UPS)の集配車が四台停車していた。この光景を見てハッとひらめいた。『宅急便は成功する』。内なる確信を得た瞬間だった」(前掲書)
UPSとは創業100年以上の歴史を持つ、米国屈指の物流業者だ。現在では、自社の航空貨物便を使った国際宅配便業者のイメージが強いが、もともとは全米にトラック輸送網を敷いたことで知られる。そのUPSの集配車が、四つ角に4台停まっているのを見て、日本でも宅急便に勝算がある、と判断する。
これは小倉が大切にする物語であり、繰り返し語られる。『小倉昌男 経営学』では、こう書いている、
「UPSの集配車がニューヨークの十字路の周りに四台停まっている。それを見て、私ははっと閃いた。(中略)個人からの荷物の宅配は絶対に儲かる」
物語としては、面白い。
しかし、物流業界の歴史に少しでも通じている人ならば、小倉のこの説明を額面通りに受け取るのは難しい。