ヤマト5代目社長・有富慶二
「小倉さんは佐川急便を研究した」

 最初に運んだ荷物が高価なカメラだったことは、佐川急便のビジネスモデルを象徴的に表している。業界ではこうした高価な荷物を、「運賃負担力のある荷物」と呼ぶ。荷扱いに細心の注意が求められる精密機械や、シーズンごとに迅速な品ぞろえが必要となる高級アパレルなど商品単価の高い荷物は、運賃も高くなる。

 佐川清はそうした通常の輸送業者が敬遠する特別扱いが必要な荷物に的を絞って宅配業を拡大する。営業利益率が3%あれば合格と言われた輸送業界で、10%を超える利益率を叩き出す優良企業として成長していく。

 年表で見れば、ヤマト運輸が宅急便を始める20年近く前に、佐川清が宅配事業を始めていることが分かる。のちにヤマト運輸の2代目社長となる小倉昌男はその頃、ヤマト運輸が買収した地方のトラック業者に総務部長として出向中。まだ、経営者見習いの身分であった。

 その小倉の視線の先には当然のように佐川急便の快進撃があった。

 ヤマト運輸の5代目社長を務めた有富慶二は、私の取材にこう答えた。

「小倉さんは、佐川急便の小口配送を研究したと思いますよ。佐川急便は商業荷物で、ヤマトは個人発の荷物という違いはありますけれど、当時20%近い利益を上げていた佐川急便を横目で見ながら、個人間の市場にセグメント化したのが小倉さん独自の考えだったと思っています」

 生前の小倉と付き合いがあった物流の専門誌「月刊ロジスティクス・ビジネス」の編集発行人である大矢昌浩もこう話す。

「宅急便を始めるにあたって、小倉さんは佐川急便をはじめとする伝統的な急便事業を熱心に研究し、その手の勉強会にも足しげく出席していた、と聞いています」

 以上は、私が『仁義なき宅配』(2015年刊)に書いた話である。