「井垣さんの本質は大阪商人」

 井垣氏が編み出した同席調停は、実は長続きしなかった。「井垣だから」という疎ましさが「傷害事件でも起きたら」という悪口となっていたが、東京家裁で離婚調停中の夫が妻を刺し殺した事件(調停室で起きたわけではない)が決定打となった。だが、韓国では離婚調停での同席は一般的で、法廷ドラマに普通に出てくる。

 また、井垣氏は「虎に翼」で家裁創設に尽くした多岐川幸四郎(滝藤賢一)が叫び続けたように、家裁の理念である「家庭に光を、少年に愛を」というスローガンは使わなかった。しかし、少年に話させ、更生を図るやり方は、「井垣さんの本質は大阪商人だよ。とことん現実主義者」と評した、かつてのベストセラーマンガ『家栽の人』の原作者、毛利甚八さん(故人)の評が当てはまると思う。が、そこには人間が織りなすことへの好奇心があっただろう。それを「愛」と呼んでもいいのかも知れない。

【朝ドラ『虎に翼』を深く知る】出世街道から転落、ブルー・パージの犠牲になった裁判官たちの「左遷に次ぐ左遷の人生」若手裁判官の左遷人事について、寅子は桂場に強く抗議する Photo:NHK

 寅子は桂場に言った。「桂場さんは、若き判事たちに、取り返しのつかない大きな傷を残しました。私は、彼らには許さず、恨む権利があると思う」(125回)。そういった恨みの言葉は、確かにブルー・パージを受けた裁判官たちからいくつか聞いてきた。

 ブルー・パージから始まった「司法の冬」は、のちの最高裁長官が嘆くほど、裁判官から積極性や創意工夫を奪った。その影響は今も続いている。だが、井垣氏が「特別」をつかんだのは、左遷に左遷を重ねた裁判官人生の賜物(たまもの)なのではないだろうか。「若い頃(の夫)は、“自分はエリートだ”という意識が高かったですね。出世していたら、鼻持ちならない裁判官になっていたかも知れませんね」。妻の一子さんはそういって笑った。「(ブルー・パージのせいで)給料が最後まで“三号俸”のままで上がらなかった」。これが、晩年まで筆者が何回も井垣氏から聞かされた「ぼやき」だ。退職時の俸給は、退職金や年金に響く。そこには確かに裁判官としてのプライドが覗いていた。