皇居の北西部に隣接する番町の住宅地は、江戸時代から続く伝統的な屋敷街である。都心中の都心という絶好のロケーションを好んで、時代の主人公はこぞってこの場所に住まいを求めた。最も国の中心に近い高級住宅地として、番町はその威厳をいまも守り続けている。

時代の主役たちが住んだ街

 都心各区に住む人間に、予算を度外視して住みたい場所をたずねたら、この街の名は真っ先に出てくるに違いない。番町という名で総称される千代田区一番町から六番町までナンバリングされた街。この場所は、憧れの都心住まいの、さらに一段上に位置している。

 買い換えによってマンションのグレードアップを繰り返してきた人ならば、番町はまさに「憧れの街」であるだろう。高級住宅街であると同時に、番町は屈指の高級マンション地区であるからだ。買い換え、住み換えのゴールの一つはここにあるといってもいいほどだ。環境、立地、そして価格的にみても、番町より上を期することは難しい。

千鳥ヶ淵
番町に隣接する千鳥ヶ淵。桜の名所として、春には多くの人が訪れる。

 番町はその街の存在自体、日本の高級住宅街の原型ともいえる性格をもっている。事実上、東京で最初の高級住宅地であり、場所・立地の性格上、その時代ごとに日本の中枢をになう人間が住みついていたからだ。江戸時代には旗本たち、明治には華族、官僚、富豪たち。パレスの主人公が変わるとともに、その最も近しい人間たちが、最もハイクラスの生活を持ち込んだ。

 そして戦前・戦後を通じて、大物政治家たちも居を構えた。番町は霞ヶ関や永田町にもほど近いのである。全国広しといえども「大臣横丁」などという通り名をもつ場所はどこにもないだろう。これは三番町と四番町の真ん中を東西に走る道で、「現職の大臣が多く住んでいたため」そう呼ばれていたのである。

 とはいえ、昔もいまも番町には、生々しい人間ドラマや葛藤が表立ってはこない。いまも多くの政治家がこの地区に住むが、その大部分はマンションの中であり、表札に目を引く名前を見つけることは少ない。邸宅群はマンションと共存し、都心にふさわしい瀟酒な街並みに、番町は形を変えているのである。日中はひっそりとしており、朝夕の生徒たちの行き帰りが、この街の一番の大きなにぎわいである。