日本高純度化学に社長として迎えられてから十数年後に、渡辺雅夫社長に大きな転機が訪れる。外資からの買収話が持ち込まれたのだ。最終的には、渡辺社長はMBO(マネジメント・バイアウト)を決断する。それは日本初のMBOでもあった。(前編からの続き)

世界のIT産業を支える“小さな巨人” <br />日本高純度化学 渡辺社長の経営進化論<br />(後編)
日本高純度化学 渡辺雅夫社長

(渡辺社長):芹澤さんが65歳で、私が59歳くらいの時でしたか、リーロナールという海外の企業から買収の話がきた。そのとき芹澤さんは売る気がなかったのですが、一部、競合している商品もあり、情報を探るという意味でも私に話を聞いて来いという。それで私が行くと、買収価格は当時の純資産だった15億円プラスアルファくらいでした。金額を聞いて芹澤さんも少し考えが変わったようでした。ところが、その外資系企業が買収されて、この話はとん挫した。

 その後、ジャスダックに上場している、日本の大手金属会社と外資との合弁企業が、うちを買いたいと言ってきた。資本金1500万円、純資産が17億円に対して、買収金額は22億円でした。芹澤さんはご自身の年齢や家族のこともあったのでしょう。「自分がいなくなったら、会社の若いやつは野垂れ死にする。彼等が路頭に迷わないように、面倒を見てくれる会社に買ってもらおう」と考えたようでした。

  これに対して我々は若い者も含めて反対した。「世界の貴金属めっき薬品では優勢になのに、やっつけている相手に買われることはない」。そこで当時のメインバンクだった三和銀行(現三菱東京UFJ銀行)に相談したら、英国系の投資銀行であるシュローダーを連れて来ました。シュローダーは自分と銀行とがお金を出すので、マネジメントもおカネを出してMBOをやろう提案してきた。三和、シュローダーに、東京海上火災(現・東京海上日動火災保険)を加えた3社連合で、30億円で買うと言ってきました。

 ところが、当時はまだ日本と欧米の会計制度が大きく違っていて、いろいろとややこしかった。それで私がテニス仲間の友人に相談したら、富士銀行(現・みずほフィナンシャルグループ)を紹介してくれた。担当になった大畑康壽さんは、ロンドンでたくさんMBOを手掛けた人で、日本に戻ってきてMBOをやろうと張り切っていた。彼が優秀だったので、このMBOはうまくいったといえます。

 シュローダーとは、「瑕疵担保責任」をめぐってもめました。デュージェリデンス(財務内容などの精査)以前に起こった問題は、すべて芹澤さんの責任という条項です。芹澤さんとしては、個人で無限の責任はとれない。富士の提案は芹澤さんの持ち株のうち95%を買い取り、5%を残す。この5%を担保に入れて、もし何か問題が生じたら、この5%を上限に責任をとるというものでした。これが決め手となりました。