1月6日、藤井裕久財務相が体調不良を理由に辞任した。

 この連載では、2010年度予算の編成作業が相当困難なものになることを指摘していた。鳩山政権が概算要求基準を廃止したことから、各省庁の概算要求は史上最高額に達した。また、鳩山政権が各省庁の審議会での議論を破棄したことから、財務省主計局は予算査定の指針を失った。予算査定は困難を極めた(第37回)

 最終的には、44兆円の新規国債発行という目標を辛うじて守ったが、予算案決定までの調整作業は、77歳の高齢である藤井氏には想像を超えた激務だっただろう。

 藤井財務相の後任には、菅直人副総理が起用された。菅財務相については、経済・財政運営の手腕が未知数だという批判がある。実際、菅財務相は就任記者会見で異例の「円安誘導発言」を行い、財務相が具体的な為替相場に言及するのは軽率だと批判された。ただ、菅財務相を評価するには「財務省との過去の因縁」を振り返る必要がある。

大蔵省主計局が恐れた
菅氏の「大蔵省解体論」

 菅直人氏は90年代以降「財務省(大蔵省)解体論」を唱え、財務省と闘ってきた勢力を実質的に指揮してきた政治家だ。

 「大蔵省解体論」は、不良債権問題処理の失敗やスキャンダルの噴出によって大蔵省に対する世論の批判が高まった頃、民主党の前身である「新党さきがけ」が構想した。

 大蔵省を(1)金融部門を分離(金融庁)、(2)国税庁と厚生省の年金部門を合併(歳入庁)、(3)主計局を分離(予算庁)、(4)国有財産の管理(理財庁)に4分割するもので、当時、さきがけ政調会長であった菅氏が主導したものだ。この構想が世論に後押しされて政治課題となることは、大蔵省にとって最大の恐怖であった。

 しかし、96年に発足した橋本政権が「大蔵省改革」を打ち出した時、この4分割構想のうち、検討課題の対象となったのは「財政・金融の分離」だけだった。これは大蔵省主計局から連立政権に対する強い働きかけの結果だったという見方がある。