「音楽番組が十月に入り急激な冷え込みに陥っている。視聴率が極度に低迷し、番組担当者は頭を痛める一方、打開に向けて動き始めた。(略)三月には26.0%(17日)の視聴率を誇ったTBS系『ザ・ベストテン』が、十月に入り9.7%(6日)を記録する急落ぶりで、他局も雪崩現象を起こしたかのように10%前後を低迷し始めた」(「読売新聞」1988年11月12日付)

 比較的長い記事だが、この時点で原因はだれにもわからなかったようだ。茶の間で家族いっしょに歌謡曲ベスト10を視聴する時代はここで終わっていたのである。

「ザ・ベストテン」は放送開始の78年1月19日の第1回放送以来、35-40%の高視聴率をあげるものすごい番組だった。生放送でベスト10を紹介するものだが、登場する歌手をどこまでも追いかけて中継するという報道番組のような斬新なスタイルだった。10年後の88年10月の視聴率急落後、最終回はさらに1年後の第603回(89年9月28日)だった。まさに歌謡曲黄金時代の最後を飾ったのである。

ベスト10入りした11曲

 本田美奈子さんのデビューは85年4月で、アイドル・ポップス、つまり歌謡曲時代最後のシングルは「悲しみSwing」(87年11月)だったから、テレビの歌謡曲時代の終幕に登場したアイドル歌手だった。

 この間、オリコンのヒットチャート(10位以内)と「ザ・ベストテン」に登場した曲目を並べてみる。

 オリコンは週次売上報告であり、「ザ・ベストテン」はレコード売上のほかに、リクエスト・ハガキの枚数、ラジオ各局のランキング、有線放送のランキングを3:3:3:1で集計したものだったので、売上だけのランキングとはズレが出る(山田修爾『ザ・ベストテン』新潮文庫、2012による)。

 オリコン・チャートでベスト10に入ったシングルは11曲、「ザ・ベストテン」では8曲である。抜きん出て多いわけではない。この間、最高2位で1位はない。当時、彼女の上にはだいたい2歳上の中森明菜さん(1965-)がいた。

「ザ・ベストテン」で2位に付けた2曲をみると、「1986年のマリリン」の上は中森明菜「DESIRE」、「Oneway Generation」ではやはり中森明菜「TANGO NOIR」が1位だった。中森明菜さんは85年、86年と2年連続で日本レコード大賞を受賞しており、この時期は「中森明菜の時代」だったともいえる。

 2位で終わったことはかなり悔しかったようで、クラシカル・クロスオーバー2作目「時」(日本コロムビア)を発売した直後の2004年秋にこう語っている。