そんなもの
放送できるわけがない

 周囲の人たちの反応によって、僕は自分がどうやら、「普通ならやらないこと」をやり始めていたことに気がついた。これをもう少し具体的に書けば、それまで撮った映像を部分的に繋いでパイロット版を作り、フジテレビ以外のテレビ局のドキュメンタリー番組担当のプロデューサーやデスクを訪ね歩いたのだが、「オウムの現役信者のドキュメンタリーなど放送できるわけがない」との返答をそのほとんどから突きつけられ、どうやらフリーランスのテレビ・ディレクターとしては、越えてはならない一線を越えてしまったのかもしれないと気づき始めていた。

 ただし、一線を越えかけていると気づきはしたけれど、その一線が引かれた理由や意味は、相変わらずわからない。

 今もよく覚えているのは、業界では老舗の制作プロダクションの社長で、現役のプロデューサーでもあるBさんの反応だ。このプロダクションとは以前に何回か仕事をした。かつては有能なテレビ・ドキュメンタリストとして名を馳せたBさんは、テレビ・ドキュメンタリーの業界ではかなりのビッグネームでもあり、そしてなぜか僕に目をかけてくれてもいた人でもある。

 テレビ各局のプロデューサーたちからも一目を置かれている彼ならば、この事態を何とかしてくれるかもしれない。そう考えた僕は、パイロット版をコピーしたVHSテープを手に、彼のプロダクションを訪ねた。ところが応対したのは顔なじみの若いプロデューサーで、Bさんは自分の部屋から出てこようとしない。

 「悪いけれど森ちゃんには会いたくないって言うんだよ」

 彼は言った。僕は立ち尽くすばかりだ。

 「オウムの現役信者たちを撮っているんだって? そんなドキュメンタリーなど認めないって言っているんだ」

 「撮った映像を少しだけ持ってきています。ちょっと見てもらえないでしょうか」

 「……無理だと思うよ」

 「なぜですか」

 引き下がらない僕に、ちょっといらついたような口調で彼は言った。Bさんの意向であると同時に、彼自身の意見でもあった。

 「だって撮るべきじゃないだろ。そんなもの」