2008年12月28日某テレビ局の農業問題特集番組で、筆者の「減反政策を廃止して、価格低下分を主業農家に直接支払いすべきだ」という主張に対して、「いろいろな角度から減反政策について見直す。タブーを設けず、あらゆることが可能性として排除されない」と発言した政治家がいる。農政トップに立つ石破茂農水相その人である。およそ行政担当者がある政策を見直すと言う場合、その政策は問題を含んでいると言明するに等しい。

 また、石破農水相は2008年末に農水省の官房長の辞任に伴う幹部職員の異動を発表した。官房長の辞任は彼が担当者だった総合食料局長時代の汚染米処理の不手際の責任をとったものと省の内外では受け止められているが、汚染米の責任は大臣と事務次官が福田前総理に事実上更迭されたことで処置済みだ。もう少し想像力を働かせると、この人事に込められた石破農水相の意思が見えてくる。

 振り返れば、小泉内閣の時代、農水省には「改革を唱えなければ人ではない」式の「にわか農政改革者」が跋扈、横行していた。新人の採用文書の中で農水省は「改革の省」ですといったPRもしていた。これらの人達は2007年民主党の農家への「戸別所得補償」の主張の前に自民党が参議院選挙で大敗し、農政が「逆コース」に入る中で元の「守旧派」に復帰した。当時の事務方の大幹部は農水省の文書から「改革」という文字をひたすら消しまくったという。

 「逆コース」の中で、減反をこれまでの国・都道府県・市町村の行政が推進するのではなく農協に任せるというコメ政策の改革は実施初年度である2007年に撤回され、農水省、都道府県、市町村が全面的に実施するという従来どおりの体制に戻った。また、減反も強化された。

 しかし、高米価、高関税を維持する以上、WTO交渉でその代償として低関税の輸入枠のミニマムアクセス米の拡大、これによる食料自給率の低下、農業の衰退は避けられない。妥結寸前までいった2008年7月のWTO閣僚会議の際、農水省に集まった自民党農林関係議員は、なすすべもなくまるで通夜のようだったと聞く。これはアメリカとインドの対立で妥結しなくてすんだものの、農政改革をしなければ、日本の農業に未来はないという覚悟が農水大臣を引き受けた石破氏にはあったはずだ。

 任命する側にも、その想いがあったはずだ。福田前首相は農政改革をやりたかったのだが、実行に移せなかった。その意思を継いだ麻生首相も、農水相になりたくて仕方がなかった典型的な農林関係議員からではなく、農政に明るく、かつ改革の意思のある人物として、余人をもって代え難い石破氏に白羽の矢を立てたのだ。

 同じ自民党総裁選を戦った候補者として、麻生首相は石破氏の農政についての理解と志の高さをわかっていたはずだ(といったら、言いすぎだろうか)。