このようなタイプの「うつ病」の方の場合には、薬物療法の果たす役割がかなり大きいので、ある程度よくなったからといって早急に減薬や断薬を行なうことは危険を伴います。

 またこのタイプの方は、性格的に非常に周囲に気を使う傾向が強いので、余計な心配をかけまいと、身近な人にまでも「元気な自分」「前向きな自分」を自動的に演じている場合が少なくありません。ですから、「面倒くさい」「さぼりたい」「今日は調子が悪い」「ずっと休んでいられたらどんなに楽だろう」といった正直な発言が自然体でできるような方向にむけて、医療側も周囲の人間もサポートしていくことが大切なのです。

潜在的な「自殺願望」
を持つタイプも・・・

 さて一方、非定形うつ病・パーソナリティ障害を背景にしたうつ状態・神経症性のうつ状態等の病態(第5回参照)においては、古典的な「うつ病」の場合とはずいぶん内実が違ってきます。

 クライアントは発症するはるか以前から心の奥に自己否定を宿していることが多く、「死にたい」という気持ちは時期による強弱の波はあっても、持続的で然るべき歴史を持っていることが多いようです。ですから、いわゆるリストカッティングなどの自傷行為などを伴ったり、摂食障害などが見られたりすることも珍しくありません。自殺未遂が何度も反復されるケースもあります。

 このような病態では、古典的な「うつ病」に比べて、薬物療法はごく部分的な効果しか期待できません。むしろ、精神療法が果たす役割が大きいタイプであり、たとえば、生育史を丁寧にたどって自己否定の由来を明らかにしつつも、健全な自己愛を蘇生させる方向でガイドしていく、高度に専門的な対応が必要になります。

 心の奥に根深い人間不信や愛情への渇望が潜んでいることも多く、素人が中途半端な善意で関わっても、結果が裏目に出てしまう場合が少なくありません。

 また、「道徳的な説教」などは、このようなタイプの方たちにはまったく通用しません。内的に苦悩し、人間不信にもとづくシニカルな視点で人間観察を重ねてきた鋭い感受性と根深いペシミズム(厭世主義)とが、「道徳」を説く人間の無意識的な自己保身や「死」を突きつけられての困惑などを鋭く見抜いてしまうためです。

 ここで精神療法の具体的内容に触れることはしませんが、このような高い感受性と内省力を備えたタイプの方たちの治療は、然るべき質を備えたものであれば、その資質が社会的に素晴らしい働きを示すようなところまで十分に到達できる可能性があるものです。

 私はこれまでの臨床経験から、「本人が持て余している能力が症状に転化されているので、どうしてもその分症状が派手になっていることが多い」のではないかと感じています。この観点から見れば、このタイプの方たちの「死にたい」という気持ちの激しさは、実は「自分らしく生きられるのならば、生きたい」という心の痛切な叫びであるとも考えられるのです。

 次回は、うつ病の「病前性格」と言われているものについて考えてみましょう。