作曲家の三枝成彰さんは「日本の音楽史上、初めてのポピュラー歌手は松井須磨子だった」という。1914(大正3)年3月26日に初日を迎えた芸術座の公演「復活」(トルストイ作、島村抱月訳、帝国劇場)で、主演の松井須磨子は劇中で「カチューシャの唄」を歌った。5月にはレコードが発売され、累計で2万枚売れたといわれている。日本で初めてのヒット曲となった。

帝国劇場の誕生

 円筒形の蓄音機が日本に入ったのは1880年代末で、ドイツから円盤型のディスクを針で再生する蓄音機が輸入販売されたのは1903(明治36)年ごろだった。これがレコード時代の始まりである。

 レコード会社の登場は1910年の日本蓄音器商会(日蓄、のちの日本コロムビア)、1912年の東洋蓄音器(京都)、1913年の東京蓄音器などに始まる。これが今日のレコード産業の出発点だ。なお、東京蓄音器、東洋蓄音器ともに大正期末、日蓄に統合されている。

 本田美奈子さん(1967-2005)が帝国劇場で東宝ミュージカル「ミス・サイゴン」に出演し、ただならぬ迫真の演技と歌唱で聴衆を驚かせたのは1992年5月だった。この帝劇、すなわち現在の帝劇は66年9月に東宝が新築したもので、オフィスビルとの複合建築である。

松井須磨子「カチューシャの唄」(1914)が<br />帝国劇場から日本で最初に流行歌となった帝国劇場で歌う本田美奈子さん(「ミス・サイゴン」1992年、写真=東宝演劇部)

 本田美奈子さんを「ミス・サイゴン」のオーディションに導いた酒井喜一郎さん(現・東宝エグゼクティブ・プロデューサー)、そして初演時の「ミス・サイゴン」プロデューサー古川清さん(現・北九州ソレイユホール館長)は、60年代の前半、帝劇の新装オープン直前に東宝へ入社している。60年代以降の帝劇については次回以降に。

 松井須磨子(1886-1919)が帝劇で「カチューシャの唄」を歌い、空前の人気を集めたのは1914(大正3)年、第1次世界大戦の始まる直前、大正デモクラシーの初期、そして音楽産業の夜明けの時代だった。

 現在の帝国劇場は東宝が経営する大劇場として知られ、1966年以来、大規模なミュージカルや演劇の上演で知られるが、草創期の帝劇は独立した経営で、日本の財界が総力を挙げ、日本を代表する劇場として設立されたものである。

 帝国劇場株式会社の設立発起人集会は1906(明治39)年10月18日に開催された。財界人、政治家など大物31人が参集している。設立の趣旨は、『帝劇の五十年』(帝劇史編纂委員会編、東宝、1966)によると次のようなものだった。以下、同書編集者による抜粋。

・国運の隆盛にふさわしい国際的な文化施設としての劇場を建て、わが国の国劇である歌舞伎芝居等を諸外国に紹介する

・劇場を在来の水商売的な経営から離脱させて、健全な実業として経営させ、観劇方法等も改めて、帝都の模範劇場たらしめる