日本コロムビアはわが国最古のレコード会社である。本田美奈子さんが全精力を傾けてクラシック・アルバムを残した会社が日本コロムビアだった。本田美奈子さんのクラシカル・クロスオーバーのアルバムは、すべて日本コロムビアから発売されている。プロデューサーの岡野博行さんとの出会いが2002年8月、第1アルバム「Ave Maria」は2003年5月、第2アルバム「時」は2004年11月に発売されている。生前最後のアルバム「時」発売から2014年11月で10周年を迎えることになる。

初代社長ホーンの時代

 2005年11月に本田さんは急死し、制作中だった第3アルバムのために録音していた曲や未発表だった録音を中心に追悼盤「心を込めて…」が発売されたのは2006年4月だった。

 本田さんは日本初のポピュラーソング「カチューシャの唄」(1914)が誕生した帝国劇場でミュージカルにデビューし(1992)、日本最古のレコード会社、日本コロムビア(1910創業)で歌手人生最後のアルバムをリリースしたのである。

前回、音楽産業100年のイノベーションを俯瞰するなかで、日本のレコード会社の草創期を概観した。今回はさらに資本の移動を含めて細部を見てみる。レコード会社の所有者(大株主)の移動は激しく、だんだん詳細がわからなくなってくるので、ここに記録しておきたい。

「合同蓄音器は日本蓄音器商会(日蓄)の傘下の会社なので、日蓄の市場支配力がわかる。前年の1927年に日蓄は米国コロムビアの洋楽盤を国内プレスすることになり、『日本コロムビア工場』という会社(工場)を川﨑に設立している。その後の主力工場となったものだ」、と書いたが、社名は「日本コロムビア蓄音器」だった。引用した文献の表記が違っていたようだ。訂正します。

 1910年の創業から20年代を通して、日本コロムビアの前身、日蓄は初期レコード産業を主導していた。

 社名は日本蓄音器商会のままだったが、「コロムビア」の名称は1927年から使い、巷間に広く行きわたっている。この年から外国企業、コロムビア傘下の会社となったからだ。

 『日蓄(コロムビア)三十年史』(日本蓄音器商会、1940)に準拠して創業から1930年代までの歴史をまとめてみる。

 1910(明治43)年10月1日、株式会社日本蓄音器商会設立、社長F.W.ホーン。資本金は35万円。ホーンの全額出資かどうかは不明。ホーンは1907年に日米蓄音機製造を設立し、輸入販売を行なっていた(こちらの社名は蓄音「機」である)。日蓄の本社は東京市銀座1丁目。

 初代社長ホーンはアメリカ人で、1896(明治29)年に来日している。生年はわからない。近代資本主義に乗り出したばかりの極東の小国で一旗揚げようという野心があったのだろう。横浜共同電燈の社員、榎本萬里に出会い、いっしょに機械工具の輸入商社、ホーン商会を始める。翌97年には蝋管蓄音器(グラフォフォン)を、さらに円盤式蓄音器(グラモフォン)とレコードの輸入販売を行なった。横浜共同電燈は1899年に設立された電力会社である。当時、電力会社は自由に設立できた。