2011年3月11日の東日本大震災から、間もなく4年目を迎える。3.11を1000年に一度の災害だったという人がいた。1945年の敗戦以来の歴史的事件だったという人がいた。「絆」「がんばろう」と多くの人が叫んでいた。震災復興を語りたがる人で溢れていた。あれから3年が経ち、そして、誰もいなくなった。
いまこそ、問おう。大仰な文明論が牽強付会に語り続けられた熱狂の果てに、何が変わり、何が変わらなかったのか、と。ここで動かなかったならば、いつ動けるのだ、と。
本連載が問うのは、その一つの糸口だ。そこにはシンプルな疑問がある。「日本の企業は、3.11後の社会に何ができたのか?そして、そこで何が変わったの か?」人は「3.11を忘れてはならない」と繰り返す。しかし、これまで通りそう繰り返すだけで、風化に抗うことはできるのか。震災以前から注目されている日本企業の社会貢献の重要性、その現実を追う。

「神戸ルミナリエ」がつなぐ阪神・淡路大震災の記憶

 多くの人がメディアを通して見聞き、あるいは実際に行ったことがあるであろう「神戸ルミナリエ」というイベントがある。

 神戸ルミナリエは、神戸の旧外国人居留地を中心に毎年12月に開催される。2013年、会期である12日間の合計来場者は354万人。一昨年の5月に開業した東京スカイツリーが、年度末までほぼ1年間の来場者が554万人であったことを考えると、このイベントの集客力がよくわかる。

 神戸ルミナリエに対して思い浮かべるイメージは、人によって分かれるだろう。

 1つは、「冬の神戸の風物詩」。テレビや雑誌でも特集が組まれ、この時期、この場所でしか見られない幻想的な光景を見ようと、遠方からバスツアーのバスツアーも多い。神戸の街は観光客であふれることになる。

 ただ、もう一方には、また別のイメージを持つ人もいる。それは、「震災復興の象徴」としてのイメージだ。

 神戸ルミナリエは、阪神・淡路大震災が発生した年である1995年の12月に始まった。それは、神戸への集客効果はもちろんだが、それ以上に、慰霊と復興、記憶の継承を主眼とした「復興イベント」の意味合いが強いものだった。

 こんなことは、地元の関係者や神戸の復興に長く携わってきた人々からすれば、改めて言うまでもない常識である。神戸ルミナリエの公式ホームページを見れば、震災に関するコンテンツや関係者が前面に押し出されていることに気づくだろう。

 しかし、「好奇心」でやって来る人々にとっては、必ずしも、そうした震災復興の文脈が意識されているわけではない。たとえば、バスツアーの募集チラシを見ると、「光の祭典」「昼間は神戸観光を満喫」「翌日は大阪に泊まってUSJに行くことも」などといった宣伝文句が並ぶ。顧客の「きれいだな」「神戸観光したい」という好奇心に応えるものだ。